cochilo: 2008年9月アーカイブ

お神輿担ぎ手募集中!!

中野区新井の町のいたるところに、
このような内容の張り紙がはられていました。

最初のうちは「大変だねこの町も」
などと他人ごとだったのですが、
考えてみればここに住み始めてはや三年目になるわけで近所に親しくなった人が居ないわけでもなく、
なんだか手伝ってあげたいなと思うようになりました。

体力に自信があるわけではないので力になれるかどうかと思いながら開催日時を見てみると、
ちょうど実家に戻る日。







ん~












まぁいいか。。。








とも思いましたが、なんだか逃げて帰るみたいで嫌な気持ちになり、
結局近所に住む小池君に取材をお願いすることにしました。
いつも巻き込んで悪いね、これからもよろしく(笑)

例祭の行われた北野神社は新井四丁目にあり通称新井天神と呼ばれています。
御祭神は菅原道真と保食神です。

小池君が撮ってくれたのがこの動画



これを見る限りお囃子は葛西囃子系列のものだと思われます。
曲は屋台ってやつですね。
地元の団体か、それとも他の町から呼んだのでしょうか?
お祭りに彩りを添えています。

彼らが練り歩いているのは僕も毎日通っているアイロード(近くの新井薬師が眼の病にご利益があるからアイ)ですがいつもとは違い活気がありますね。
この道は北野神社へ参拝する時の参道であった頃のなごりで、いまだに煎餅屋さんや飴屋さんが軒を連ねています。

※余談ですが先月の中野区報の中に、「この辺りも昔は田んぼが沢山あって学校からの帰りには川で魚を取って遊んでいたんですよ」と語る女性の記事がありました。
こんなところに田んぼが!?とビックリしましたが、
経済発展の名の下に失われた風景というのはあまりに大きいのですね。

中野区という大都市東京のど真ん中にありながら、こうして地元のお祭りを残していこうとする姿勢には強く勇気付けられます。
混沌としてしまった東京の町で地方出身者も神輿を担ぐことでお祭りに参加する。
これはお邪魔させて頂いている土地や氏子の方々へのお返しをする
いいチャンスなのではないでしょうか。

北野神社 神輿最後に小池君と一緒に取材に参加してくれた瞳さん、名和君、どうもありがとう!


いや~、来年はちゃんと参加しよっと。







北野神社(新井天神)
https://goshuin.kokon.asia/touto_jinja/14_kitano_arai_nakano.html

自らのルーツを求めて
とか言うとカッコ良く聞こえますが、僕は詰まるところ実家がそれだと思います。
人類のルーツだとアフリカまで行ってしまう人もいるようですが、それは飛躍し過ぎです。
カッコ良かろうが悪かろうが、日本に住むほとんど人のルーツは生まれ育った故郷なのです。

"日本人"である事にこだわって矢継ぎ早に進めてきたこの企画ですが、
各方面のお祭りを見て廻るにつけ、いくら一つの国家であるとはいえ、
やはり元々は別々の国であった事を思い知らされました。

となると僕は日本人である前に生まれ育った町、広島県東広島市(旧豊田郡)安芸津町の
"安芸津人"たらねば、自らの自己同一性は保持できないことになります。

こんな回りくどい表現をすると、なんだか頭だけでで考えて地元に行き着いたように思われるかもしれませんが、烏山・妻沼・青森・岸和田等、地域力の強い土地で感じたヨソモノ意識は僕自身の気持ちを猛烈に実家へと向かわせました。

原田欣二さん

今回の帰省ではこの人に会って話が聞けるというのは大きな楽しみの一つでした。
というのも原田さんは安芸津が誇る芸能のひとつ、安芸津町盆踊り唄で太鼓を叩いている第一人者なのです。

安芸津の盆踊り唄は、帰村(きそん)一つ拍子豊年踊(ほうねんおどり)の3曲から成り、中でも帰村は1978年にビクター音楽産業株式会社からリリースされている「正調 広島の民謡」にも取り上げられた名のある唄です。

※ちなみにこの帰村の録音で太鼓を叩いているのが原田さん、囃子を担当しているのが僕の祖父にあたる菅田猛(故人)です(ふふ、思いっきり自慢)。

原田欣二 安芸津 帰村 一つ拍子 豊年踊り原田さんによると、大洲秋人という方が古くから親しまれていた安芸津の民謡や酒造りの唄に安芸津の風土・町民を称える歌詞をつけ、若柳きっすいという女性が振り付けて現在の形になったのだそうです。

安芸津の三津小学校(現在では安芸津中学校でも)の運動会で毎年披露され、今年で35周年になるそうです。

もちろん僕も小学生の時踊っていましたが、いつも練習が楽しみで先生が
「はい、やり直し~」

と言うと
「え~、たいぎい」
とか言いながら実は密かに心の中で小躍りしていたのを覚えています。



この3曲(特に豊年踊り)は大好きで今でもたまに鼻歌で歌ったりしていましたが、
久々に聴くとやっぱりたまらんですね(笑)
ちょっと違うかもしれませんが僕にとっては懐かしのヒット曲って感じです。

昭和62年広島民謡調査 安芸津町民謡 オープンリール原田さんからは昭和62年広島民謡調査の時の貴重な音源をお借りしましたのでお聞かせしたいのですが、いかんせんオープンリールなので、デジタル化するまで少々お待ち下さい。








書きたい事は山ほどありますが、地元の事は小分けにしながら何度も書きたいので今回はこの辺にしておきます。

27歳になってやっとこんな心境になったというのは恥ずかしい限りですが、
こんな事が書ける僕なんかは幸せな方で、地元に芸能が残っていない又は地元と呼べる場所を持っていない人達が存在するのもまた事実です。
そういう人達に対して僕は偉そうな事は言えませんが、
せめて自分にそういう土地があるのであれば大事にしていきたいと思うのです。

ブラジル音楽の原点はSAUDADE(望郷)ですが、個々それぞれ自分にとっての故郷を想う。
そのとき感じる何ともいえない懐かしさ・寂しさは、万国共通なのではないでしょうか。


安芸津町の紹介
https://www.hh-kanko.ne.jp/area/akitsu.html

たいぎい
しんどいの意味

天祖神社(てんそじんじゃ)
は別名神明神社(しんめいじんじゃ)、神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)とも呼ばれ、三重の伊勢神宮を総本社として全国に約5千社あると言われています。
これらの神社は天照大神を主祭神とし、通称「お伊勢さん」と呼ばれることが多いそうです。

とまぁ、ウィキペディアからガンガンコピペしながら偉そうに書いているわけですが、
今回は東京都文京区本駒込にある天祖神社のお祭りへ行ってきました。
というのも、現在通っている松本源之助社中による奉納があると聞いたからです。

松本社中をはじめ江戸に残る里神楽の団体は祭り囃子の演奏も兼ねる事が多く、
今回撮影したのもその祭り囃子です。



いや~何度聞いても江戸の祭り囃子には胸躍ります。
お祭りと言えばこれって感じですよね?

真ん中で演奏しているのが5代目の若師匠ですが、後で伺ったところ当日は朝6時の宮出しから参加されていたそうで。。
お祭りって開始が早いんですよね、ほんとお疲れ様です。

普段のほほんとされている師匠ですが(こんな事書くと怒られっかな?一応許可は頂きましたが)、最初にお稽古の見学に伺った時のこと。
僕がブラジルでドラムを習ったりしてる内に感じた違和感の事を話すと、

「そうでしょう、猿真似でしょう。」

と、はっきり仰いました。
最近この言葉がひどく身に染みます。

音楽の良し悪しは個人が判断するものですから、聞く人によってカッコ良くも悪くもなるでしょうが、
猿真似ってのはやっぱりカッコ悪いですよね。
アイデンティティというのは最終的には個人に帰結するのでしょうが、日本という国の中での自身のアイデンティティと海外へ出た時のそれとを同一化するためには小さな頃から地域の文化に触れる機会が多いに越した事ははありません。

資金繰りの問題で三年に一度になってしまったというこの天祖神社のお祭りですが、これから生まれてくる新しい世代の為にもがんばって残していってもらいたいと願うのでした。

文京区天祖神社

https://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_jisha_tenso.html

祭本来の姿

とでも言うのでしょうか。
先日訪れた岸和田のだんじり祭ではごく日常の延長線上にある、町対抗の大運動会のような印象を受けました。





岸和田城岸和田藩・岡部氏の城下町として栄えた岸和田は、明治以後もその立地条件の良さから大阪のベッドタウンとして発展。

にもかかわらず岸和田城をはじめとする情緒ある町並みが数多く残り、こんな所に生まれたらきっと離れたいなんて思わないだろうなと、よそ者ながらに思ってしまいました。


あまりにも理想的な発展の仕方をしたお陰でしょうか、岸和田には他の町で見られるような保存会の類は存在しません。
そればかりか、だんじりに参加する町団体はまだなお増え続けているそうです。

だんじりの全てが分かる!
という言葉に乗せられて立ち寄っただんじり会館なる資料館の販売店では単にだんじり祭のものだけでなく、各町のロゴが刺繍された巾着袋等、町ごとのグッズが並べられていたことにも驚かされました。
この元気の良さを前にしては伝統という言葉すら無意味に響いてしまいそうです。

さてこの資料館。
最上階には特設スペースがあり、簡易版の山車に乗って演奏することができるのです。
お、何やら親子連れが興味を示しているな~とか思っていると、
さっきまで手をつないでもらっていた少女が太鼓を叩き始めました。

うぅ、上手い

地元の子だったのでしょうか?
それにしてもうまい!
一瞬自分の目を疑いましたが、紛れも無い現実でした。
さっき道で聞いていただんじりのリズムです。
そうこうしている内に近くに居た地元の高校生らしき四人組が演奏を始めました。

うぅぅ、もっと上手い


同じフロアにある3Dだんじり上映の為並んでいたのですが、これを録らなきゃ来た意味ねえ!
と思い3Dは後回しにして撮影させて頂きました。



あとで少しお話を聞かせて頂きましたが、こちらも昨夜寝ないで岸和田に着いたこともあり、
ろくな質問ができなかったのが悔やまれます。
演奏していたのは、

大太鼓:胡摩崎さん 
鐘:仲塚さん
笛:貝さん
小太鼓:田中さん


の四人で、小学校の頃から演奏しているとのことでした。
突然声を掛けたのにもかかわらず携帯で録っただんじりの映像を見せてくれたり、知らないおじさんに付き合ってくれてどうもありがとうございました。

お祭りが町の人にとって(負の意味での)特別なものではなく、お祭りがお祭りであることも忘れてしまう程生活に密着していることを感じさせられた岸和田だんじり祭。
経済の発展が必ずしも伝統的な行事に悪影響を与えているわけではなく、それを運営していく側、行政の力によってもまだまだできる事はあるのではないかと考えさせられる道行でした。

岸和田だんじり祭

https://www.city.kishiwada.osaka.jp/danjiri/

ブラジルはサンパウロでこのブログ企画の構想を練っていた頃、ほぼやみくもにネットで日本の伝統芸能を検索していてまず最初に僕の心を掴んだのが神楽でした。

その時観たのは石見神楽
の映像でしたが、江戸にも里神楽と呼ばれるものがあります。
里神楽という名称はもともと宮中の御神楽と区別するために用いられ、石見神楽もその中に含まれますが、狭義には江戸里神楽を指すようです。

江戸里神楽にも大きく分けて江戸流相模流の二つの流派があるのですが(ややこしいですね)、今回取材させて頂いたのは相模流の代表的団体の一つである萩原正義社中(板橋区)の里神楽です。

五代目萩原正義どちらの流派も埼玉県北葛飾郡鷲宮町の鷲宮神社(わしみやじんじゃ)に伝わる土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)より端を発しているようで、演目等共通する部分が多いですが、能の影響から摺り足の多い江戸流に比べ相模流は派手な見せ所が多い点が特徴だそうです。

また七福神等相模流でしか演じていない演目もあります。

写真は今回(いつもそうですが)何のアポもなく、楽屋に失礼したにも関わらず快く迎え入れていただいた五代目萩原さん



さて、実際に見た感想ですが、里神楽というのは基本的に黙劇(会話を用いない劇)なのでその分表現がオーバーで、登場人物達の関係はなんとなく分かったのですが、内容に関してはある程度予備知識が必要でした。

動画は八幡山(やわたやま)と呼ばれる演目の一部で、神功皇后(じんぐうこうごう)三韓征伐の出征をするにあたって、武内宿禰(たけのうちのすくね)から弓を受け取り
弓の舞を舞う場面だそうです。



石見神楽でも演じられる有名な演目のようですが、韓国での公演ではさすがに演じることはできず困ってしまったそうです。
日本の伝統芸能が歴史とは切っても切れない関係であること、伝統があるだけに芸能だからと簡単に割り切れないことを象徴しているようで非常に興味深いお話でした。

それにしてもこの笛と太鼓の演奏独特ですよね。
渡辺貞夫さんのバンドでドラムを叩いていた原田寛治さんも一時萩原社中に所属していたことがあるそうで、プロのドラマーが目をつけるのも無理はないと思います。

相模流萩原社中相模流萩原社中








取材を快く引き受けて頂いた萩原正義社中の皆さんどうもありがとうございました。

正直言って良かったです(音楽的には)
ただ最近色んなお祭りを見ている内に,
楽しければなんでもいいじゃ~ん!

というノリでは楽しめなくなってきました。
歳なんでしょうかね?

高円寺阿波踊りの歴史を紹介するページにはこうありました。

昭和32年8月。現在の高円寺パル商店街振興組合に青年部が誕生した。 この誕生の記念行事として何かやろうじゃないか、という意見が出た。

すでに、隣町の阿佐ヶ谷では昭和29年より七夕祭り始まっており、これは大きな売上をもたらす呼び物であった。
「阿佐ヶ谷に負けてはなるものか!」と高円寺の街の人々は奮起。相談のうえ、四国は徳島の郷土芸能、阿波踊りを始めることになった。
がしかし、名称は高円寺らしさをと「高円寺ばか踊り」に決まった。

~ 中 略 ~

いつまでも、「高円寺ばか踊り」ではいけないと、メンバーが阿波踊りの師匠を探し始めた


これは本当に僕個人の意見ですが、そのまま「高円寺ばか踊り」でいて欲しかった。
せっかく高円寺らしさというところに着目して名前を変更したのに、自らそのアイデンティティーを放棄して他の町の模倣であることを公言してしまうなんて、僕が高円寺生まれだったら許せません。
動機が売り上げだと表明してしまうのも悲しいですが、お祭りにはそういう要素もあるので否定はしません。

ただ隅田川花火大会はともかく、浅草サンバカーニバルと共に東京の三大夏祭りと呼ばれることの所以が僕には集客数、売り上げ以外に見当たらない。
日本人の価値観がお金にばかり偏ってしまうのは自分の生まれた国として非常に残念です。

自分の土地にもともと大きなお祭りが無くても、独自の新しい祭りを展開している妻沼のような町もあります。
もっと自分の生まれた土地の事を知り、町の顔であるお祭りくらい真剣に考えてもらいたいものです。

今回は最後まで辛口ですが、
本場徳島の誇る郷土芸能、阿波おどりに敬意を表し
というのであれば、せめてこういったグッズの販売くらいは自粛するべきではないでしょうか?


高円寺阿波踊りの歴史
https://www.koenji-awaodori.com/ja/more/history/



江戸三大祭りの一つ
ということで行って来ました。

深川八幡祭り今年は三年に一度の本祭で、各町内から計55基の神輿に加え岩手県平泉町の町神輿1基が特別参加したそうですが、生憎のお天気。

深川八幡祭りは「水かけ祭」と呼ばれるように神輿に清めの水がかけられるのですが、小雨の降る中担ぎ手が風邪を引いてしまわないかと余計な心配をしてしまいました。



それにしてもとにかくすごい人で、1807年(文化4年)に見物人が集中し過ぎて永代橋が崩れて怪我人が出たというのも頷ける大盛況ぶり。
今回の例大祭に訪れたのは約31万人だそうです。
ヒ~、ホントろくな写真が撮れませんでした。
「ワッショイ、ワッショイ」

と神輿が通り過ぎる中、目を引いたのは、箕輪家流墨田囃子保存会の皆さんの演奏。
会長の安藤明さんにお話を伺ったところ、江戸の祭り囃子は諸説はあるものの発祥は葛西神社の神主さんがまとめた和歌囃子(馬鹿囃子とも)と言われ、青少年の健全な育成に指導教育されていたものだそうです。
またブラジルとの比較になりますが、青少年の更正に音楽指導を利用したという意味ではサルバドールの太鼓集団OLODUMと重なるところがあって面白いですね。



さて皆さん黙々と演奏されていますが、これめちゃくちゃ難しいんですよ!

というのも最近東京チンドン倶楽部の高田さんの紹介で日暮里の松本源之助社中にお世話になっていて、僕も江戸の祭り囃子を習っているのです。
アドリブが含まれる点ではジャズに似ているところもありますが、
小節の概念が無い点で西洋の音楽とはまったく次元が違います。

よく、「慣れだよ、慣れ」って言われますけど。。。
まぁそうなんでしょうね。
今後ドラムでもアプローチしてみたいですけど、ビートと言うよりは楽曲です。

演奏される曲は
・屋台
・昇殿
・鎌倉
・四丁目
・神田丸
・麒麟
・亀戸
・階殿
・鞨鼓等

この辺は江戸の祭り囃子に共通するようです。
箕輪家流墨田囃子保存会にはまた改めてお伺いしようと思っています。
安藤さん、どうもありがとうございました。

実際は当時の江戸で社会問題となっていた放蕩を防ぐ為に神主の名を利用したとの説明もありこの辺はロマンをそそります。
関連記事:和歌囃子・ばか囃子・江戸囃子の項参照

箕輪家流墨田囃子保存会
https://www.city.sumida.lg.jp/kyouiku/syougai_gakusyuu/gakusyu_sien/bunkazai_hogo/bunkazai_itiran/sumida_tourokubunkazai/mukei_minzokubunka/sumida_touroku901/index.html

ごしょがわらたちねぷたと読みます。

恥ずかしながら青森に来るまではねぶた祭りと言えば青森だけだと思っていましたが、
この時期五所川原、弘前、黒石をはじめ青森県内でなんと30を超える地域でねぶたが行われているそうです。おぉぉ、なんたる。。

弘前ねぷたねぶた、ねぷたと2通りの呼び方がありますが、タクシーの運転手さんは、

「どっちも一緒ですよ、元が一緒だから。発祥は弘前らしいですがね。」
とおっしゃっていました。
写真は弘前のもの。




語源は「眠たい」から始まってねぶたい、ねぷたい、、、、ねぶた!
みたいな感じだそうです。
もともと七夕の灯籠流し等から影響を受け、夏の眠気を流すといった禊祓(みそぎはらえ)の意味から始まったとされています。。

五所川原のねぷたはその大きさが特徴で、高さは7階建てのビルに相当する22m!!
総重量は約17tという言い方は悪いですがバケモノとしか言いようのない大きさのねぷたが街を練り歩くことで有名です。
このサイズのねぷたは最近になって作り始めたのではなく、江戸時代後期から大型化がはじまり、明治2年(1874年)には既に20m近いねぷたが登場していたとのことです。ほら
しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大ねぷたの運行が困難になり小型化を余儀なくされました。

時は経ち平成5年。
明治・大正期のものと思われる台座の設計図が発見された事がきっかけで、復活への機運が高まり、ついに平成8年立佞武多として蘇ったのです。

五所川原市内五所川原市民のねぷたにかける熱意はすさまじく、行政もバックアップし運行の妨げになる電線を地下に埋める工事まで行いました。
ほら⇒

僕はここまでやってしまう五所川原市に拍手を送りたい!
立派過ぎる!かっこいい!
お金をかける所を知っています。


その巨大ねぷたの運行は僕の稚拙な文章より、見てもらった方か早いでしょう。
「ヤッテマレヤッテマレ」の掛け声と共にお囃子の集団が通り過ぎた後、
ものすごいのがやってきます。



どうです? でか過ぎて全体がカメラに収まりません。。
僕らはただ立ちつくして
「うわ~、あ~、お~おお~、え~?」
とアホみたいな声を出すことしかできませんでした。
アホみたいな感想だけでは申し訳ないので、簡単ですが譜面をアップします(汗)

五所川原立佞武多お囃子のドラム譜

シンプルですが、応用次第では色々使えると思います。(8分音符は3連中抜きです)


五所川原ではあすなろ大太鼓という直径3.2メートルもある大太鼓も登場したのでそれも紹介しておきます。





ね、大きいでしょ?
大きさでは秋田県北秋田市の「綴子神社例大祭」に登場する大太鼓に一歩譲るようですが、
昭和52年に初登場以来夏祭りには欠かさず登場しているのだそうです。
さすがにこの大きさになると叩くのが大変そうで、江戸のお囃子の様にテンテケテンテケ叩くわけにはいきません。上から下から長いバチでゆったりと重いビートを奏でています。

さて、この日最後は交差点で3体のねぷたが顔を合わせ、金木町(現在の五所川原市)出身の吉幾三さんが特別出演して熱狂の中幕を閉じます。
単純に比較はできませんが、どれだけ国民的なスターになってもカーニバルでは必ず地元サルバドールに戻ってくるブラジルのIvete SangaloGilberto Gilのような印象を受けました。
ポーズにせよ自分の土地を大切にする姿には共感を覚えずにはいられません。

青森での2日間を振り返ってみて、地域の文化・つながりの大切さを改めて痛感しました。
僕も含め若い世代の伝統文化離れが顕著だと言いますが、
青森・五所川原どちらの祭を観ても、中心となって盛り上げているのは他でもない若者達でした。

ねぷたの様に華やかな文化を持つ地域ばかりではありませんが、自分達の土地で自分達の文化を守る、伝えていくという姿勢は持ち続けていくべきだと思います。
子供の頃から当たり前のようにお祭りと関わり、また新しい世代にその楽しさを伝え続いていく。
ねぶた祭りに地域文化の一つの理想を見せられたようなそんな2日間をでした。

五所川原立佞武多

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