譜面の最近のブログ記事

僕にとって地元の誇りである、安芸津町盆踊り唄が久々に生で聴けるということで、
「火とグルメの祭典 ~安芸津フェスティバル~」へ行ってきました。

広島杜氏年に一回行われるこのお祭りでは、地元の特産であるジャガイモを使った団子、ドーナツや、広島杜氏の祖・三浦千三郎の故郷であることから広島の銘酒の試飲会など、様々な出し物が好評です。






その中でも一番の見所はなんと言っても保野山の「万」の字焼き

万の字焼き夕方日が落ち暗く静まり返った保野山の山頂。
そこから幻想的に浮かび上がる「万」の文字には誰もが息を呑みます。

京都の五山送り火をベースにしながらも、かつて万葉集の歌に詠まれた町であることから「万」の字を採用したところは先輩たちの意地とセンスに拍手を送りたい気持ちです。
ちなみに下がその一句。

吾が故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖邊に 霧たなびけり

旅立つ夫に妻は、
「もし旅先で霧を見たなら、私が悲しみ嘆いていることとお思い下さい」
と告げて別れます。
こんなことを言われたら余計に別れづらくなりそうですが、旅の一行が安芸津町の風早に到着した際、申し合わせたように霧がたなびいたとのこと。

今も昔もロマンチストってのはいるんですね。
千年以上経っても変わらない人間の本質的なものを感じます。

さてさて、それでは僕のかわいい後輩にあたる三津小学校の生徒達が演奏してくれた安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)をご覧下さい。
※動画のアップは校長先生直々に許可を頂きました。



いや~、かわいらしい。
もうちょっと元気が良くてもよかったかなとも思いましたが、演奏後のインタビューで
「今日は25点でした。。」
と、客観的な判断もできる自分に厳しい安芸津っ子です。

こういう経験を小学校の時にしておくというのは本当にいい事で、
僕もそうですが大人になってその有難味が良く分かります。
運動会の時は全校生徒で今も行われているようですが、指導を続けられている原田さん他有志の方々に感謝しつつ今後もこれだけは絶対守って行きたいと思います。

さて、この日は素敵な出会いがありました。
このお祭りでプロとしてエレクトーンを演奏されていた谷真一さん、歌手のゆうきさんの二人です。
彼らは僕と同じ三津小学校出身ですが、まだ22歳と若くちょうど僕が6年生の時1年生だったというギリギリ同じ空気を味わった世代です。

彼らに僕がやっていることを伝え、西洋の楽器で安芸津の盆踊り唄を一緒に演奏したいと申し出たところ快く引き受けてくれました。
最近こういう話を色んな方にしますが、意外にも僕の意図をすんなり理解してくれるのは僕より若い世代の人です。

ひょっとしたら日本の音楽もこの世代辺りから新しい方向へ向かって行ってくれるのではないかと淡い期待を寄せつつ、来年はこの三人でお祭りのステージに立つことを約束しました。
今からわくわくしています。

欧米文化にべったりの人にも日本の文化を保存しようと頑張っている人にも
「こりゃええのう!」
と言われるような地域独自のものを目指して頑張って行こうと思います。

追伸
とりあえず勢い余って一人で演奏してみました。



やっぱり一人だと息が続きませんね。。
僕も25点です、はい。
三人での演奏が撮れればその都度アップしていこうと思います。

谷真一さんのブログ
https://mignonorchestra.blog103.fc2.com/

祭本来の姿

とでも言うのでしょうか。
先日訪れた岸和田のだんじり祭ではごく日常の延長線上にある、町対抗の大運動会のような印象を受けました。





岸和田城岸和田藩・岡部氏の城下町として栄えた岸和田は、明治以後もその立地条件の良さから大阪のベッドタウンとして発展。

にもかかわらず岸和田城をはじめとする情緒ある町並みが数多く残り、こんな所に生まれたらきっと離れたいなんて思わないだろうなと、よそ者ながらに思ってしまいました。


あまりにも理想的な発展の仕方をしたお陰でしょうか、岸和田には他の町で見られるような保存会の類は存在しません。
そればかりか、だんじりに参加する町団体はまだなお増え続けているそうです。

だんじりの全てが分かる!
という言葉に乗せられて立ち寄っただんじり会館なる資料館の販売店では単にだんじり祭のものだけでなく、各町のロゴが刺繍された巾着袋等、町ごとのグッズが並べられていたことにも驚かされました。
この元気の良さを前にしては伝統という言葉すら無意味に響いてしまいそうです。

さてこの資料館。
最上階には特設スペースがあり、簡易版の山車に乗って演奏することができるのです。
お、何やら親子連れが興味を示しているな~とか思っていると、
さっきまで手をつないでもらっていた少女が太鼓を叩き始めました。

うぅ、上手い

地元の子だったのでしょうか?
それにしてもうまい!
一瞬自分の目を疑いましたが、紛れも無い現実でした。
さっき道で聞いていただんじりのリズムです。
そうこうしている内に近くに居た地元の高校生らしき四人組が演奏を始めました。

うぅぅ、もっと上手い


同じフロアにある3Dだんじり上映の為並んでいたのですが、これを録らなきゃ来た意味ねえ!
と思い3Dは後回しにして撮影させて頂きました。



あとで少しお話を聞かせて頂きましたが、こちらも昨夜寝ないで岸和田に着いたこともあり、
ろくな質問ができなかったのが悔やまれます。
演奏していたのは、

大太鼓:胡摩崎さん 
鐘:仲塚さん
笛:貝さん
小太鼓:田中さん


の四人で、小学校の頃から演奏しているとのことでした。
突然声を掛けたのにもかかわらず携帯で録っただんじりの映像を見せてくれたり、知らないおじさんに付き合ってくれてどうもありがとうございました。

お祭りが町の人にとって(負の意味での)特別なものではなく、お祭りがお祭りであることも忘れてしまう程生活に密着していることを感じさせられた岸和田だんじり祭。
経済の発展が必ずしも伝統的な行事に悪影響を与えているわけではなく、それを運営していく側、行政の力によってもまだまだできる事はあるのではないかと考えさせられる道行でした。

岸和田だんじり祭

https://www.city.kishiwada.osaka.jp/danjiri/

ごしょがわらたちねぷたと読みます。

恥ずかしながら青森に来るまではねぶた祭りと言えば青森だけだと思っていましたが、
この時期五所川原、弘前、黒石をはじめ青森県内でなんと30を超える地域でねぶたが行われているそうです。おぉぉ、なんたる。。

弘前ねぷたねぶた、ねぷたと2通りの呼び方がありますが、タクシーの運転手さんは、

「どっちも一緒ですよ、元が一緒だから。発祥は弘前らしいですがね。」
とおっしゃっていました。
写真は弘前のもの。




語源は「眠たい」から始まってねぶたい、ねぷたい、、、、ねぶた!
みたいな感じだそうです。
もともと七夕の灯籠流し等から影響を受け、夏の眠気を流すといった禊祓(みそぎはらえ)の意味から始まったとされています。。

五所川原のねぷたはその大きさが特徴で、高さは7階建てのビルに相当する22m!!
総重量は約17tという言い方は悪いですがバケモノとしか言いようのない大きさのねぷたが街を練り歩くことで有名です。
このサイズのねぷたは最近になって作り始めたのではなく、江戸時代後期から大型化がはじまり、明治2年(1874年)には既に20m近いねぷたが登場していたとのことです。ほら
しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大ねぷたの運行が困難になり小型化を余儀なくされました。

時は経ち平成5年。
明治・大正期のものと思われる台座の設計図が発見された事がきっかけで、復活への機運が高まり、ついに平成8年立佞武多として蘇ったのです。

五所川原市内五所川原市民のねぷたにかける熱意はすさまじく、行政もバックアップし運行の妨げになる電線を地下に埋める工事まで行いました。
ほら⇒

僕はここまでやってしまう五所川原市に拍手を送りたい!
立派過ぎる!かっこいい!
お金をかける所を知っています。


その巨大ねぷたの運行は僕の稚拙な文章より、見てもらった方か早いでしょう。
「ヤッテマレヤッテマレ」の掛け声と共にお囃子の集団が通り過ぎた後、
ものすごいのがやってきます。



どうです? でか過ぎて全体がカメラに収まりません。。
僕らはただ立ちつくして
「うわ~、あ~、お~おお~、え~?」
とアホみたいな声を出すことしかできませんでした。
アホみたいな感想だけでは申し訳ないので、簡単ですが譜面をアップします(汗)

五所川原立佞武多お囃子のドラム譜

シンプルですが、応用次第では色々使えると思います。(8分音符は3連中抜きです)


五所川原ではあすなろ大太鼓という直径3.2メートルもある大太鼓も登場したのでそれも紹介しておきます。





ね、大きいでしょ?
大きさでは秋田県北秋田市の「綴子神社例大祭」に登場する大太鼓に一歩譲るようですが、
昭和52年に初登場以来夏祭りには欠かさず登場しているのだそうです。
さすがにこの大きさになると叩くのが大変そうで、江戸のお囃子の様にテンテケテンテケ叩くわけにはいきません。上から下から長いバチでゆったりと重いビートを奏でています。

さて、この日最後は交差点で3体のねぷたが顔を合わせ、金木町(現在の五所川原市)出身の吉幾三さんが特別出演して熱狂の中幕を閉じます。
単純に比較はできませんが、どれだけ国民的なスターになってもカーニバルでは必ず地元サルバドールに戻ってくるブラジルのIvete SangaloGilberto Gilのような印象を受けました。
ポーズにせよ自分の土地を大切にする姿には共感を覚えずにはいられません。

青森での2日間を振り返ってみて、地域の文化・つながりの大切さを改めて痛感しました。
僕も含め若い世代の伝統文化離れが顕著だと言いますが、
青森・五所川原どちらの祭を観ても、中心となって盛り上げているのは他でもない若者達でした。

ねぷたの様に華やかな文化を持つ地域ばかりではありませんが、自分達の土地で自分達の文化を守る、伝えていくという姿勢は持ち続けていくべきだと思います。
子供の頃から当たり前のようにお祭りと関わり、また新しい世代にその楽しさを伝え続いていく。
ねぶた祭りに地域文化の一つの理想を見せられたようなそんな2日間をでした。

五所川原立佞武多
「夏期休暇いつにします?」

入って間もない会社でもう夏休みです。
え、マジで!?ねぶた行けんじゃん!
なんて僕は幸せ者なのでしょう、運まで味方してくれている様です。

日本のお祭りについてまったく知識のなかった僕でも知っていた青森のねぶた祭り。
これを見ないでこんなブログが意味をなすでしょうか!
まぁ行けたから言うんですけどね(笑)

8月7日の早朝、これまた運良く休暇の取れた学生時代の友人小池君と新幹線に乗り込み、
まだ見ぬ東北の地に思いを馳せました。
青葉城恋唄の仙台を抜け、遠野物語の岩手を後にし、緑色なのにスーパー白鳥という電車に乗り換え到着した青森は、気持ちの良い風で僕らを迎えてくれました。

到着早々、職業柄なのか下調べに余念のない小池君はこの日も華麗なまでのスケジュール管理で僕をエスコートします。
「おい、そんなスーパーに入ってどうするつもりだ!」
僕の静止を耳にもせず小池君は入って行きます。

せっかく青森まで来てスーパーかよ!何たる。。と、一度は彼の情緒的感覚を疑いましたが、
地下に広がっていた魚市場を前に彼はせせら笑うのでした。

青森 魚市場見てください、このマグロ!
後ろの椅子は人間の座る椅子ですよ!

このマグロもさらし首にされる所以はないでしょうが、さばかれた後もその姿は立派です。
お前は偉い!でかい!うまい!

こんな大きな魚が新鮮なまま生で食べれるなんて、自然の恵みに感謝です。



とまぁ、あまり余談ばかり書いても記事が長くなってしまうのでここら辺にします。

青森のねぶたは跳人(ハネト)と呼ばれる文字通り跳ねる人が踊りながらお祭りを盛り上げます。
祭りを知るためには跳人になる必要があるのですが、そのためにはハネト衣装(正装)を着なくてはなりません。
これは「青森ねぶた保存伝承条例」で決められています。
なので今回は(株)トップテーラー青森店でレンタルさせてもらいました。

青森ねぶた ハネト衣装この写真で見ると分かりにくいかもしれませんが、実際には花笠をかぶり、たすきがけもピンク色なのでかなり女の子っぽい衣装です。

そんな話をトップテーラーの店員さんにしたところ、「そうだよ、もともとは酔っ払いが女装して踊ったのが始まりだから」と、津軽弁で語ってくれました。

ブラジルでもオカマの格好をした団体のパレードを沢山見ましたが日本でも古くからあるんですね。







では衣装も整ったところでいざ出陣!
それっぽい人たちの集団にさりげな~く加わりました。
最初はなんだかヨソモノ意識が抜けずヨソヨソしかったですが、声を出しいてる内にどんどんボルテージが上がってきました。



動画は撮っている小池君も跳ねているのでブレブレですね。
ご覧の通り「ラッセーラー、ラッセーラー」と言いながら跳ねます。
これは酒でもなんでも「出せや~出せや~」と言っていたのが変化したそうです。
僕達は途中で疲れてしまい、またさりげな~く脱退しましたが、生粋の跳人たちは2時間ぶっ続けで跳ねていました。
大型ねぶたの運行は3日間あるのですが、彼らは連日跳ねているのでしょうか。
青森市民の脚力恐るべしです。


ではお囃子!!
この日は沢山お囃子の動画を撮りましたが、中でも一番グッときたのがこのJR東日本の方々による演奏。ねぶたの太鼓はでかいですが、その分(?)バチも長いです。
そのバチがしなりながら勢いよく太鼓を打ちつけていくさま!粋ですね。



太鼓と笛の演奏は、そのまんま「青森ねぶた囃子」と呼ばれているそうです。
鳴り物は手摺り鉦といってチンドン太鼓の当たり鉦と同じような形状ですが、ねぶたの場合は2つをすり合わせて演奏します。リズミカルな動きと相まってこれまた粋ですね。

青森ねぶた囃子ドラム譜ドラム譜はこの日ほとんどの団体が演奏していた曲(他にもう一曲ありました)のベーシックな部分から抜粋・アレンジしました。
ラッセーラーラッセーラーと掛け声を出しながら叩くと感じが出ると思います(笑)

動画を見てもらえると分かるように実際は7小節ごとに笛に合わせた違うリズムが1小節入っていますが、汎用性を考えるとこれでいいと僕は思います。

お昼の山車引きが終わって地元の人に聞くと昨日の晩が一番盛り上がったとのことでした。
暗闇で怪しく光るねぶたの山車はお昼とはまた違った顔を見せてくれるのでしょうね。
今後青森ねぶたを狙っている人は参考にしてみてはいかがでしょうか。

青森ねぶた祭り
https://www.nebuta.or.jp/

追伸

青森ねぶた囃子を実際にドラムで演奏してみました。
どうでしょう?
使い方によっては新しいジャンル創出も可能なのでは?




※尚このビートに使用にあたっては、ご一報頂けるとありがたいです。
何事もつながりが大切ですから。

「小学校の頃から行事の後は必ずこれだよ!」


聖天寿司

妻沼名物特大いなり(聖天寿司)を紹介してくれたのは妻沼の太鼓チーム天鼓会のリーダーを務める増田さん。

左のショートホープと比べるとその大きさが分かって頂けるでしょう。

先日のうちわ祭で衝撃を受け足を運んだ妻沼には、他にも日本三大聖天の一つに数えられる妻沼聖天山日本初の女医である荻野吟子、大正の終わり頃から一世を風靡したメヌマポマードなどその名が全国に知れ渡る文化豊かな町でした。



その昔利根川のほとりに2つの沼があり、上の沼に男体様が、下の沼に女体様があったことから、上の沼を男沼、下の沼を女沼とし、後に妻沼と変化したことが地名の由来なのだそうです。

さて肝心の「練り込み囃子」ですが、なんとこのお囃子天野宣(あまのせん)という方が一人で作られたものだそうです。


恐れ多くもドラムで叩くとすればこんな感じ。

妻沼練り込み囃子ドラム譜下火となっていた妻沼のお祭りを盛り上げるため須藤森一(故人)さんが中心となり山梨の甲府にお住まいの天野さんに新しい祭り用のお囃子を根気強く依頼され実現したとのこと。




「練り込み囃子」は天野さんはもちろん、須藤さんの熱意と妻沼の人達の強い思いが込められています。町の人の表情からはそれがはっきりと見てとれました。


篠笛・当たり鉦・うちわ太鼓、柄付き太鼓、平胴太鼓に念仏太鼓と多くの楽器を使い、この日聖天・歓・喜の3連から成る総勢約300人による合同演奏が行われたフィナーレはご覧の通り。



伝統という視点からみればまだまだ若いお祭りかもしれませんが、めぬま祭りを見ていると重要なのはそこではないような気もしてきます。
どうすれば地元の町が盛り上がっていくかと真剣に考える気持ち。
お祭りにかける人達の行動の根底には必ずこれがあります。

めぬま祭り 増田さん他の町の真似をするではなく、独自のお祭りのを作りあげている妻沼。
小さな子どもからお年寄りまで町ぐるみで参加する練り込みには大きな希望があります。
今後さらに発展していこくとを心よりお祈りいたします。

ちなみにこの日は若手チンドン屋さん達のアイドル高田宣伝社の方々の演奏もありました。やはり妻沼出身です。

子曰く、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、
思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し


足利学校山あげ祭を見た次の日、栃木県足利市に住む大学時代の後輩、菅原君に連れられ日本最古の学校である足利学校へ入学(?)しました。

上の文章は
儒教の祖である孔子の言葉を集めた書物論語の一節で、足利学校の特別体験で素読したものです。




儒教が日本に輸入されたのは約1700年前であると言われていますが、
いまだに日本人の道徳観念の大きな部分を担っているように思います。
上の言葉もそうですが学校で購入した簡易版「論語沙」に目を通すと、どれもそうだよね~と頷ける内容のものばかりでした。まぁ、中々実行できないんですけどね。。

いやぁ勉強になったね~とか言いながら足利学校を卒業し、お土産屋さんを散策しているとどこからともなく太鼓の音色が聞こえてきました。
最初はCDか何か流してるんだろうと思いましたが、近づいてみると本物!!

足利が発祥という元祖八木節でした。

足利八木節 朝倉八木節保存会電池が切れて動画が撮れなかったことが本当に悔やまれるほど、息のあった完璧な演奏、踊りでした。

地元足利出身の菅原君は、僕が
「ちょっとこれヤバイじゃん!、
めちゃくちゃかっこいいじゃん」
と言っても、あぁそうすか?
とそっけない返事でしたが、
これヤバイです。


これまでほぼ日本の伝統音楽を意識する機会がなかった僕は、恥ずかしながらこの八木節の存在を知りませんでした。
実家の母にもばかにされましたが、ホントいいですねこれ!

大正生まれの比較的若い芸能というだけあって、分かり易いというか素直に楽しめます。
ただ疑問に思ったのはお客さんがほぼ居なかった事。。
地元にこんな素晴らしい芸能があるのにもったいない!
演奏されてる方はそんなのへっちゃら、という位思いっきり楽しんでらっしゃいましたけど。

こりゃたまらんと思い、横で休んでいた方に話を伺ったところ、
「お兄ちゃんやってみたら?、次一緒にやんなよ!」
まぁ、なんと寛大な。。

んで、やりました(笑)

八木節 俺いや~、楽しい~!
幸せ~!

嬉しそうでしょ?

僕が叩かせて頂いたのは鼓ですが、なんとスティックで叩くんですね~。
昔は松脂を使っていたそうですが、現在はガムテープでぐるぐる巻きです。

文明の利器ですね。


さて、叩いたリズムですがこれが面白い!

足利八木節ドラム譜これはもうビートそのものです。
最初の入りの1小節だけ決まりがありますが、後はずっと一緒。
止まる時は笛の合図で止まります。

ドラムで叩くとするとこんな感じになるんではないでしょうか?(汚くですみません)

アフリカのフェラ・クティが始めたアフロビートに近いものがありますね。
う~ん、いい感じ。

話が少しズレますが、譜面が出てきたところで最初にひとつだけ断っておきたい事があります。
これはあくまでドラムで叩くとすればこうなんじゃない?
という提案であって定義ではありません。
はっきり言ってこの譜面はもうこの時点で八木節のそれではありません。
八木節にヒントを得たドラムのビートの譜面です。
伝統的な音楽に対しては常に敬意を抱いていますし、長年磨かれ受け継がれてきた重みを感じています。伝統を汚すような意図はまったくない事だけはご理解いただきたいのです。
 
僕が譜面を起こす理由は例えばこういうことです。

今まで締太鼓を叩いていた日本人が西洋の新しい楽器を初めて手にした時のことを考えてみて下さい。
すぐにアメリカ人の真似をしてジャズを演奏するか、今まで叩いてきたリズムを試してみるか。
どうです?後者の方が独自の新しいものに発展する可能性があると思いませんか?
そういうチャンスが一度はあったわけです。
 
戦後日本は前者の道を選びますが、僕はロマンチストですから後者の道を歩んだ日本の音楽が聴いてみたい。どういう発展をしていくのか考えただけでもワクワクします。
そのために参考になるような譜面の紹介という意図で載せました。

もちろん僕の主観で起こす譜面ですから偏りは出てくるでしょう。
ですが僕も日本人です。
本場の現地人ですから、外人が起こす譜面よりは参考になるのではないでしょうか(笑)
 
最後になりましたが、気さくに仲間に入れていただいた朝倉八木節保存会の皆さん。
本当にどうもありがとうございました。


追伸

実際にドラムでさわりの部分を実演してみました。
やっぱりドラムだけだと寂しいですが、ギターのカッティングなんか入ると
ファンキーになりそうな感じです。
せっかくなので唄ってしまいましたが、素人なので大目に見てください(笑)




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