安芸津町: 2008年9月アーカイブ

自らのルーツを求めて
とか言うとカッコ良く聞こえますが、僕は詰まるところ実家がそれだと思います。
人類のルーツだとアフリカまで行ってしまう人もいるようですが、それは飛躍し過ぎです。
カッコ良かろうが悪かろうが、日本に住むほとんど人のルーツは生まれ育った故郷なのです。

"日本人"である事にこだわって矢継ぎ早に進めてきたこの企画ですが、
各方面のお祭りを見て廻るにつけ、いくら一つの国家であるとはいえ、
やはり元々は別々の国であった事を思い知らされました。

となると僕は日本人である前に生まれ育った町、広島県東広島市(旧豊田郡)安芸津町の
"安芸津人"たらねば、自らの自己同一性は保持できないことになります。

こんな回りくどい表現をすると、なんだか頭だけでで考えて地元に行き着いたように思われるかもしれませんが、烏山・妻沼・青森・岸和田等、地域力の強い土地で感じたヨソモノ意識は僕自身の気持ちを猛烈に実家へと向かわせました。

原田欣二さん

今回の帰省ではこの人に会って話が聞けるというのは大きな楽しみの一つでした。
というのも原田さんは安芸津が誇る芸能のひとつ、安芸津町盆踊り唄で太鼓を叩いている第一人者なのです。

安芸津の盆踊り唄は、帰村(きそん)一つ拍子豊年踊(ほうねんおどり)の3曲から成り、中でも帰村は1978年にビクター音楽産業株式会社からリリースされている「正調 広島の民謡」にも取り上げられた名のある唄です。

※ちなみにこの帰村の録音で太鼓を叩いているのが原田さん、囃子を担当しているのが僕の祖父にあたる菅田猛(故人)です(ふふ、思いっきり自慢)。

原田欣二 安芸津 帰村 一つ拍子 豊年踊り原田さんによると、大洲秋人という方が古くから親しまれていた安芸津の民謡や酒造りの唄に安芸津の風土・町民を称える歌詞をつけ、若柳きっすいという女性が振り付けて現在の形になったのだそうです。

安芸津の三津小学校(現在では安芸津中学校でも)の運動会で毎年披露され、今年で35周年になるそうです。

もちろん僕も小学生の時踊っていましたが、いつも練習が楽しみで先生が
「はい、やり直し~」

と言うと
「え~、たいぎい」
とか言いながら実は密かに心の中で小躍りしていたのを覚えています。



この3曲(特に豊年踊り)は大好きで今でもたまに鼻歌で歌ったりしていましたが、
久々に聴くとやっぱりたまらんですね(笑)
ちょっと違うかもしれませんが僕にとっては懐かしのヒット曲って感じです。

昭和62年広島民謡調査 安芸津町民謡 オープンリール原田さんからは昭和62年広島民謡調査の時の貴重な音源をお借りしましたのでお聞かせしたいのですが、いかんせんオープンリールなので、デジタル化するまで少々お待ち下さい。








書きたい事は山ほどありますが、地元の事は小分けにしながら何度も書きたいので今回はこの辺にしておきます。

27歳になってやっとこんな心境になったというのは恥ずかしい限りですが、
こんな事が書ける僕なんかは幸せな方で、地元に芸能が残っていない又は地元と呼べる場所を持っていない人達が存在するのもまた事実です。
そういう人達に対して僕は偉そうな事は言えませんが、
せめて自分にそういう土地があるのであれば大事にしていきたいと思うのです。

ブラジル音楽の原点はSAUDADE(望郷)ですが、個々それぞれ自分にとっての故郷を想う。
そのとき感じる何ともいえない懐かしさ・寂しさは、万国共通なのではないでしょうか。


安芸津町の紹介
https://www.hh-kanko.ne.jp/area/akitsu.html

たいぎい
しんどいの意味

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