安芸津町の最近のブログ記事

え~、番外編でございます。
ちろっと暇が出来たので、作ってみました。



もしも使いたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、
以下のソースを貼り付けて使ってください。



だんじりのコメントで「祭り好き税理士」さんに教えていただいた、
祭りカウントダウンブログパーツをヒントに作りました。
ありがとうございました。

ちなみに2010年の8月15日19:00をターゲットの日時としたつもりですが、
バグがあるかもしれません。

おおよその目安にしてくださいな。
ではまた。
保存会に入れて下さい!

お盆(8月)の14日、実家に戻った僕は、
先日お世話になった日の丸写真館の中村さんに申し出ました。
我が故郷、安芸津町三津の盆踊り大会の前日です。
話は急ピッチに進み、揃いの浴衣まで貸して頂いて、そのまま本番15日。

朝6時屯所前集合

トラックに櫓の木材を積み込み会場となる児童公園へ。
櫓を組み立て、堤燈を飾って会場作り。
なんでこんな朝早くに?
と思いましたが参加してみて実感。

ぶちしんで~
蚊もおるし。。


こんな作業昼間にやったら本番迎えるまで体が持ちません。
お昼前に一旦休憩(酒飲み)して、

また3時に集合

お酒、氷、コップをもらいに町を回り、
会場に戻って草むしり。

ぶちしんで~
蚊もおるし。。

安芸津町三津市之町盆踊りただ、これだけ体を酷使すると、
めったにできない故郷孝行を今まさにやっているんだと。

そういう実感が痛いほど、かゆいほど体に感じられて、なんだかウルッときたりして。。

こんなこと毎年やってるんだと思うと、ほんと保存会の方々の苦労が身に染みて、どうしても残さにゃいかんと心から思います。

市之町盆踊りさて、辺りは程よく陽も落ちて、
夕方7時から盆踊りの始まりです。

この年お亡くなりになった方の霊を迎えるため、特別に供養された堤燈が櫓に灯されます。
(写真はその前の状態)

安芸津の盆踊りは先祖供養の意味合いが色濃く残り、地区によっては喪服で参加するところもありました。

そして何度も聴いた安芸津町三津盆踊り唄もここでは新霊供養踊りとして演奏されます。

帰村~一つ拍子



豊年踊り



唄には南さん、太鼓には安芸津のグルーヴマスター原田さん
さすがの貫禄ですね。
結局この日は夜の12時過ぎまで太鼓を叩き、酒を飲み、踊り続けました。

さすがにやり切った感があり、体力の限界に達したと感じましたが、
これでは終わりません。

「今日は皆様お疲れ様でした。
 明日も朝6時から片付けですので、よろしくお願いします。」

マジすか~!?



まじでした。
ホント保存会の人達ヤバイ。

こんなに体酷使された事しばらくありませんでしたが、
年に一回、次回はお盆に向けて体を作って臨みたいと思います。。
市之町盆踊り保存会の方々お疲れ様でした。


さて最後に極私的な記事になりますが、
懐かしい友達に再会しました。

御園隆之くんと定兼良輔くんです。

サダヨとイソ




















御園くんは安芸津で呉服屋(御園呉服)を、定兼くんはバンドを続けつつ料亭(富楽)を営んでいます。

みんなおっさんなったの~

とか言いながらそれでもこうやってまた楽しく話ができるって、
やっぱ安芸津で育ってえかったわ~。

安芸津に立ち寄った際は是非、御園呉服と富楽を探してみて下さい。
あと、菅田米穀店とね。

御園呉服店
https://map.doko.jp/m/sc=50179589

富楽
https://nttbj.itp.ne.jp/0846450511/index.html?Media_cate=populer&svc=1303

The NAF in the SweLL (定兼くんのバンド)
https://www.naf.fm/frame.html

安芸津町三津盆踊り唄

僕の実家の民謡であるこの曲を我が芸能部のレパートリーとすべく、
今回は踊りの瀧田くん、まりあちゃんを連れ実家安芸津町に戻って参りました。

毎年我が母校三津小学校運動会で披露される三津盆踊りを生で見てもらい、
その後保存会の方々直々に踊り・太鼓を教えてもらうという贅沢過ぎる程の日程です。

では早速、現役三津小学校5・6年生による盆踊りをどうぞ。
純粋にがんばっている子供達の姿を見ていただければ光栄です。

3曲メドレーで15分弱あるため、動画を2つに分けています。

「帰村・一つ拍子」




「豊年踊り」



動画では分りづらいかもしれませんが、
安芸津の盆踊りはただ輪になってぐるぐる回るだけではありません。
左右から合流したかと思うと十文字・輪・四角とめまぐるしく陣形が変わります。
その辺りに注目して見て頂くとまた興味深いのではないでしょうか。

当日は小学校時代仲の良かった同級生にも再会できましたが、
2人で当時を振り返りながら運動会を眺めるのは中々感慨深いものがありました。

今でもこうして盆踊りが続いていることを誇りに思います。
教員の方々並びに保存会の方々に感謝です。

そしてこれからは僕らの世代が盛り上げていく所存です。

菅田米穀店芸能部さて三津小の盆踊りを満喫した後は、
菅田米穀店(本部?)前で記念撮影。

今後の芸能活動にとって欠かせない、なんとも頼もしい二人です。

じいちゃんが生きてたらどう思うだろうな。。





さて、ここからが本番。
この日のために集まっていただいた、
市之町盆踊り保存会 の方々から直々に踊りの指導です。
それまでリラックスムードだった二人も真剣な表情で話を聞いていました。

以下がメンバーの方々
*順不同

地元がが誇るいわば三津盆踊りのオールスターです。

原田欣二さん
南清和さん
柄宣行さん
坂井敏雄さん
宮本教子さん
中村和彦さん
豊田昭洋さん


ビッグバンドをやっている人からすれば、カウント・ベイシー楽団にわざわざ集まってもらって教わるようなもの。なんと贅沢な。。

トータルで2時間強でしたが、最終的にはここまで踊れるようしっかり教わりました。





小学校では教えてない踊りも含め、全部で5パターンも踊りが存在します。
安芸津の祇園祭で町を練り歩く大名行列のやっこさんの動きが取り入れられていたり、
掘り下げれば踊りにも沢山の意味が込められていて興味深いです。
この辺りは瀧田くんにお任せですね。

3曲メドレーで演奏されるというのは日本の民謡の中でも特殊だと思いますが、
その演奏形態でも安芸津の盆踊りは変わっています。

まず何よりメロディー楽器がありません。

断片的にしか太鼓が出てこない、もしくはそもそもが太鼓がない、
といった民謡が多い中、太鼓しかないってのはかなり異色ではないでしょうか?

詳しくはまた別の機会に書きますが、「帰村」のリズム、これは2・4の変拍子です。
「一つ拍子」は読んで字のごとくドンとカッしか存在しない一つの拍子でドンは踊りに合わせます。
最後の「豊年踊り」はハッキリとした拍をもったリズム。
小泉文夫氏の体系化した八木節様式と言う部類に入るのだろうと思います。

余談ですがこの八木節様式で演奏されるリズムこそが、
現代の音楽に欠かせないビートまたはパルスと呼ばれるものです。
僕はここを追及していきたい。


これこそが全世界で通用するいわば汎用的なパターンです。
覚えてしまえばどこまでも応用が利きます。


なんで日本的なことをやりたいのにドラムでやるのかと最近よく聞かれますが、
当たり前の話ですが太鼓でやったらまんまになってしまうからです。

太鼓は持っていなければ演奏できませんが、リズムは知っていればどこでも表現できる。
ボンゴで演奏しようが、インドのタブラで演奏しようが、バケツを叩こうが、膝を叩こうが、
日本のリズム を表現できるんです

重要なのは使う楽器よりも、演奏する内容だと思ってます。
そりゃ、もちろん太鼓が一番いいっすよ。
けど外人さんは中々手に入れられない。
でもバケツくらいならどの国だってあるでしょう。

え~、話を戻して安芸津町の盆踊りですが、
地元にその可能性を秘めたリズムがあるというのは何とも誇らしく、
今後様々な場で発表していきたいと思います。

最後になりましたが、
お忙しい中お集まり頂いた市之町盆踊り保存会の方々、
動画UPを許可していただいた校長先生、PTA会長さん、
応援に駆けつけていただいた鈴木さん、
どうもありがとうございました。

毎年8月15日は安芸津町三津盆踊り!
機会があれば是非安芸津町に!



東広島市立三津小学校
https://www2.city.higashihiroshima.hiroshima.jp/~mitsu-sho/

安芸津町のグルーヴマスター
と言えば、この人!


当ブログ早くも2回目の登場になる原田欣二さんです。
前回はお話を聞くだけで終わってしまったのですが、
今回はそのテクニックを余すところなくご披露頂きました。

まずは安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)



後半のフレーズを叩く時の原田さんに注目して頂きたいのですが、微妙に足の位置を変えています。
やってみると分かりますが、太鼓の皮と淵を叩き分けるのにそのままの位置では叩きにくいのです。
パッと見そんな高度は事はやっていないように思えますが、さりげない足の運び方には年月の重みを感じますね。

ちょっと脱線しますが、こういう映像はマニアックな心をくすぐるものがありまして、何年か前にリットーミュージックから発売されたJB'sのドラマーの教則ビデオ「聖典 ザ・ファンク・ドラム」を思い出したりもします。
どちらにしても個人的には図書館で保管してもいいくらいの価値ある資料であると思っています。

さてお次は安芸津町盆踊り唄(きそん、一つ拍子)



「きそん」は「カッテンドン」と頭から入り、「一つ拍子」は4回端を叩いてドン、6回叩いてドン!
それにしても、まさかこんな叩き方をしていたとは!

「派手にやりすぎてテンポが遅~なるゆ~て、歌い手のひとによ~ゆわれよ~たわいね」

と、裏話も聞かせて頂きましたが映像で得られる新たな発見は思いの他大きいようです。

この日はお昼から夕方にかけて色々な話を聞かせて頂きましたが、
そのお話だけ別で録音したかったくらい、日本昔話ならぬ安芸津昔話のオンパレード。
榊山神社の福祉会館から来島どっくが見えますが、あのガソリンスタンドからセブンイレブンに続く道は埋め立てたもので、元々あそこは海岸だったそうです。
(これは地元の人じゃないと分からんじゃろうね。。)

本当に綺麗で榊山神社からの景色が好きだったと原田さん。
言葉の端々に安芸津に対する並々ならぬ郷土愛が感じられますが、そういう景色を実体験として見て来た人達にとっての地元は僕らが考える以上に大切なものなのだろうと思います。

埋め立てられた道路を眺めながら昔の景色はどうだっただろうかと想像すると、
悔やんでも悔やみきれないくらい素晴らしい景色が広がってきます。
とは言えまだまだ沢山の自然が残る安芸津町。
誤った方向へ持っていかないようにするのは僕らの世代の大きな責任だと思います。

お後がよろしいようで。
今回も原田さん、どうもありがとうございました。

僕にとって地元の誇りである、安芸津町盆踊り唄が久々に生で聴けるということで、
「火とグルメの祭典 ~安芸津フェスティバル~」へ行ってきました。

広島杜氏年に一回行われるこのお祭りでは、地元の特産であるジャガイモを使った団子、ドーナツや、広島杜氏の祖・三浦千三郎の故郷であることから広島の銘酒の試飲会など、様々な出し物が好評です。






その中でも一番の見所はなんと言っても保野山の「万」の字焼き

万の字焼き夕方日が落ち暗く静まり返った保野山の山頂。
そこから幻想的に浮かび上がる「万」の文字には誰もが息を呑みます。

京都の五山送り火をベースにしながらも、かつて万葉集の歌に詠まれた町であることから「万」の字を採用したところは先輩たちの意地とセンスに拍手を送りたい気持ちです。
ちなみに下がその一句。

吾が故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖邊に 霧たなびけり

旅立つ夫に妻は、
「もし旅先で霧を見たなら、私が悲しみ嘆いていることとお思い下さい」
と告げて別れます。
こんなことを言われたら余計に別れづらくなりそうですが、旅の一行が安芸津町の風早に到着した際、申し合わせたように霧がたなびいたとのこと。

今も昔もロマンチストってのはいるんですね。
千年以上経っても変わらない人間の本質的なものを感じます。

さてさて、それでは僕のかわいい後輩にあたる三津小学校の生徒達が演奏してくれた安芸津町盆踊り唄(豊年踊り)をご覧下さい。
※動画のアップは校長先生直々に許可を頂きました。



いや~、かわいらしい。
もうちょっと元気が良くてもよかったかなとも思いましたが、演奏後のインタビューで
「今日は25点でした。。」
と、客観的な判断もできる自分に厳しい安芸津っ子です。

こういう経験を小学校の時にしておくというのは本当にいい事で、
僕もそうですが大人になってその有難味が良く分かります。
運動会の時は全校生徒で今も行われているようですが、指導を続けられている原田さん他有志の方々に感謝しつつ今後もこれだけは絶対守って行きたいと思います。

さて、この日は素敵な出会いがありました。
このお祭りでプロとしてエレクトーンを演奏されていた谷真一さん、歌手のゆうきさんの二人です。
彼らは僕と同じ三津小学校出身ですが、まだ22歳と若くちょうど僕が6年生の時1年生だったというギリギリ同じ空気を味わった世代です。

彼らに僕がやっていることを伝え、西洋の楽器で安芸津の盆踊り唄を一緒に演奏したいと申し出たところ快く引き受けてくれました。
最近こういう話を色んな方にしますが、意外にも僕の意図をすんなり理解してくれるのは僕より若い世代の人です。

ひょっとしたら日本の音楽もこの世代辺りから新しい方向へ向かって行ってくれるのではないかと淡い期待を寄せつつ、来年はこの三人でお祭りのステージに立つことを約束しました。
今からわくわくしています。

欧米文化にべったりの人にも日本の文化を保存しようと頑張っている人にも
「こりゃええのう!」
と言われるような地域独自のものを目指して頑張って行こうと思います。

追伸
とりあえず勢い余って一人で演奏してみました。



やっぱり一人だと息が続きませんね。。
僕も25点です、はい。
三人での演奏が撮れればその都度アップしていこうと思います。

谷真一さんのブログ
https://mignonorchestra.blog103.fc2.com/

自らのルーツを求めて
とか言うとカッコ良く聞こえますが、僕は詰まるところ実家がそれだと思います。
人類のルーツだとアフリカまで行ってしまう人もいるようですが、それは飛躍し過ぎです。
カッコ良かろうが悪かろうが、日本に住むほとんど人のルーツは生まれ育った故郷なのです。

"日本人"である事にこだわって矢継ぎ早に進めてきたこの企画ですが、
各方面のお祭りを見て廻るにつけ、いくら一つの国家であるとはいえ、
やはり元々は別々の国であった事を思い知らされました。

となると僕は日本人である前に生まれ育った町、広島県東広島市(旧豊田郡)安芸津町の
"安芸津人"たらねば、自らの自己同一性は保持できないことになります。

こんな回りくどい表現をすると、なんだか頭だけでで考えて地元に行き着いたように思われるかもしれませんが、烏山・妻沼・青森・岸和田等、地域力の強い土地で感じたヨソモノ意識は僕自身の気持ちを猛烈に実家へと向かわせました。

原田欣二さん

今回の帰省ではこの人に会って話が聞けるというのは大きな楽しみの一つでした。
というのも原田さんは安芸津が誇る芸能のひとつ、安芸津町盆踊り唄で太鼓を叩いている第一人者なのです。

安芸津の盆踊り唄は、帰村(きそん)一つ拍子豊年踊(ほうねんおどり)の3曲から成り、中でも帰村は1978年にビクター音楽産業株式会社からリリースされている「正調 広島の民謡」にも取り上げられた名のある唄です。

※ちなみにこの帰村の録音で太鼓を叩いているのが原田さん、囃子を担当しているのが僕の祖父にあたる菅田猛(故人)です(ふふ、思いっきり自慢)。

原田欣二 安芸津 帰村 一つ拍子 豊年踊り原田さんによると、大洲秋人という方が古くから親しまれていた安芸津の民謡や酒造りの唄に安芸津の風土・町民を称える歌詞をつけ、若柳きっすいという女性が振り付けて現在の形になったのだそうです。

安芸津の三津小学校(現在では安芸津中学校でも)の運動会で毎年披露され、今年で35周年になるそうです。

もちろん僕も小学生の時踊っていましたが、いつも練習が楽しみで先生が
「はい、やり直し~」

と言うと
「え~、たいぎい」
とか言いながら実は密かに心の中で小躍りしていたのを覚えています。



この3曲(特に豊年踊り)は大好きで今でもたまに鼻歌で歌ったりしていましたが、
久々に聴くとやっぱりたまらんですね(笑)
ちょっと違うかもしれませんが僕にとっては懐かしのヒット曲って感じです。

昭和62年広島民謡調査 安芸津町民謡 オープンリール原田さんからは昭和62年広島民謡調査の時の貴重な音源をお借りしましたのでお聞かせしたいのですが、いかんせんオープンリールなので、デジタル化するまで少々お待ち下さい。








書きたい事は山ほどありますが、地元の事は小分けにしながら何度も書きたいので今回はこの辺にしておきます。

27歳になってやっとこんな心境になったというのは恥ずかしい限りですが、
こんな事が書ける僕なんかは幸せな方で、地元に芸能が残っていない又は地元と呼べる場所を持っていない人達が存在するのもまた事実です。
そういう人達に対して僕は偉そうな事は言えませんが、
せめて自分にそういう土地があるのであれば大事にしていきたいと思うのです。

ブラジル音楽の原点はSAUDADE(望郷)ですが、個々それぞれ自分にとっての故郷を想う。
そのとき感じる何ともいえない懐かしさ・寂しさは、万国共通なのではないでしょうか。


安芸津町の紹介
https://www.hh-kanko.ne.jp/area/akitsu.html

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