お囃子の最近のブログ記事

大学時代の友人小池君の高校時代の友人で、
音頭バンド「カラカラ」で一緒になったユミさんの大学時代の友人。

とかいうと訳分かんないですけど、
要は共通の知人の知人ということで繋がった歌代圭介さんのお招きで、
埼玉は飯能市の飯能まつりへ行ってきました。

この方の祭好きは筋金入りで、立ち上がったばかりの早稲田チンドン研究会において、

「僕は祭の為に生きてるんだけど、みんなは何の為に生きてるの?」


と、究極的かつ根源的なの質問を投げかけ、
皆を沈黙させてしまったという逸話を残しています。

飯能まつり中央が歌代さん。

今回は中途半端な僕の知識では申し訳ないので、本気で地元飯能の祭りを愛す歌代先生による説明を引用させて頂きます。

※携帯メールでのやり取りを転載させて頂きました。このテキスト数は尋常じゃない。。











[ いつから始まった祭事か ]


飯能の市街地の祭りは、もとをただせば江戸時代に鎮守の神社の祭礼として、
獅子舞(関東に多い三頭の獅子舞)が奉納されるようになったのが始まり。
明治、大正期に各町が山車や屋台を建造し囃子も演じられるようになりました。
今から約40年前、全市をあげての「飯能まつり」という形になり、
飯能市に伝わるさまざまな伝統芸能が演じられるようになりました。

[ 演目について ]



お囃子の演目だったら流派や町によっても違うけど、
大体共通している曲目は「屋台」「仁馬」「四丁目」「鎌倉」「昇殿」「神田丸」等。
踊りは特別なストーリーがあるわけではないですが、
ヒョットコ等の馬鹿面や岡目、天狐、外道、恵美寿や大黒等いろいろあります。

[ お囃子の流派について ]



流派は二つ。神田大橋流と小田原囃子若狭流。
大橋流は江戸時代に隣の入間市から、若狭流は明治初期に川越から伝わりました。
どちらも埼玉・東京に多い、江戸囃子の系統の囃子で、そういう意味では重松流とは同系統だと思います。個人的な感覚だと、大橋流と重松流は似ている点があると思ってます。

[ 底抜け屋台とは ]

現在飯能にあるのは古いものでも昭和になってから造ったものですが、
江戸時代の祭礼絵巻(神田祭りなど)に描かれたものとほとんど同じ形式で残っています。
特徴は床がなく歩きながら演奏すること。
屋根の部分に「朝顔」と呼ばれる市松模様の飾りがついていること等。
底抜け屋台の囃子は、山車の囃子とは違います。
祇園囃子と呼ばれるもので、飯能や入間、東京多摩地区にある囃子です。
飯能だけの特徴としては、昔飯能には花街があり芸者がたくさんいた関係で端唄(っていうのかな? お座敷の唄)のような曲目も取り入れられてます。

[ 太鼓神輿について ]



そんなに昔からやってるものではないと思うけど、
今では飯能まつりのメインイベントの一つになってます。

[ 開催時期について ]


飯能で一年の内で大きな祭りは先日の飯能まつりが一番ですが、
七月中旬に行う天王様(八坂神社)の祭礼もわりと盛大です。
このお祭りでは8台の底抜け屋台が二日間にわたって曳き回されます。
その他、各神社がそれぞれお祭りをやってます。

引用ここまで --------

なんと内容の濃い!!


ちなみに重松流というのは「ところざわまつり」等で演奏されるお囃子のこと。
川越まつりもそうですが、屋台の上で踊るところなんか非常によく似ているなと思い、
関連性を質問してみました。
演目の「外道」ってのは気になりますね、僕なんかは70年代のロックバンドを思い浮かべてしまいますが。
あと底抜け屋台は前日のみ行われたらしく、見れなかったのが残念。
先生の説明を読むとこれを見ずして飯能まつりは語れない。。
めちゃくちゃ面白そう。

正直なところ前日がライブでヘトヘトに疲れ、
十分に調べられないまま行ってしまったことを後悔しております。
次の機会には是非とも底抜け屋台目掛けて気合入れて取材させて頂こうと思います。

本当に歌代さん、どうもありがとうございました。


飯能まつり連合会

https://f29.aaa.livedoor.jp/~hanno/


ピーヒャラピーヒャラ
テンツクテンツク

東京生まれの人がお祭りと聞いてイメージするものの一つにお囃子があると思います。
発祥については地域によって諸説あるようですが、
こと江戸のお囃子に関して発祥が葛西神社であることに異論はないようです。

先日行われた例大祭では思う存分その葛西囃子を堪能しました。

葛西囃子保存会お話を聞かせて頂いたのは、お囃子暦50年という大ベテランの小林さん(左)と佐々木会長

この日は里神楽の演奏も披露されていました。






今と同じく平和だった江戸時代。
いつの時代もそうなのでしょうが、今でいうヤンキー、ちょっと前だとチーマー・暴走族みたいな若者が治安を悪化させて幕府を困らせます。

そんな世相の中、葛西神社の神主だった能勢環さんが創作したお囃子を若者に教えたところ、

中々熱心にやるじゃん。

ということで、それに目を付けた関東の代官伊奈半左エ門が政策として奨励。
優秀な演奏者は将軍も上覧する神田明神のお祭りに参加できるとあって、
瞬く間に関東一円に広がっていったということです。

今や江戸祭囃子のスタンダードとなっている、

屋台~昇殿~鎌倉



四丁目~屋台




笛を吹いてらっしゃるのが、小林さん。
真ん中が佐々木会長。

内容としては現在松本源之助社中で教わっているものとほぼ同じでした。
ここでもそうですが、四丁目では締太鼓のアドリブが入ります。
ジャズで言うソロ回しみたいなもんですね。

締太鼓を叩いている者としてはここが技の見せ所的なところがあって、
気合入れ過ぎて失敗したりするのですが佐々木会長はさすがにツボを抑えた粋な演奏ですね。

テテンッ!と、終わりの合図が隣の人と揃ったらソロ終了。
これまた何とも粋でしょ?西洋音楽のように小節数でカウントはしないんです。

今回は時間の関係上あまり長くは居れませんでしたが、
また来年ゆっくり見させて頂きたいと思いました。

小林さん、佐々木会長、どうもありがとうございました。

葛西囃子保存会
https://music.geocities.jp/jisya01/

山あげ祭り去年に引き続き今年も行ってきました、
山あげ祭り!

日本中の祭りを見れるだけ見てやろうと思っている人間にとって、
同じ祭りをもう一度見に行くというのはよっぽどのことです。



でもこの山あげ祭りはそのよっぽどなんです。


前回お世話になった松本さんの人間的な魅力もさることながら、
ここで演奏されるお囃子が僕には強烈過ぎました。
この曲に四つ打ちのバスドラ入れたらトランスのパーティーが出来ると本気で思います。
絶対にしないで欲しいけど。。

ほら



山上げ祭りでは歌舞伎の舞台をその場で組み立てるのですが、
準備が出来るまでの間(40分くらい)これ、ずーっと演奏されるんですよ。

これでテンション上がんない人いるんでしょうか?

演奏されているのはお囃子小宅流の方々で、
動画中メインで写っているのは、

笛:滝沢さん
鉦:小森さん


太鼓の方達は変形していく山車に乗って演奏されています。
(この変形する山車もガンダムマニアに見せたいくらいかっこ良くて機能的)

山あげ祭りいつまででも聴いていられて、
且つ気持ちがアガル!
炎天下の中での舞台組み立てという過酷な作業を影で支えるにはこういう曲が必要なんですね。

「新囃子」

と言う曲だそうです。



全10曲入りのCDが烏山駅近くの山あげ会館で購入できます。
1500円!安い!

ただただベタ褒めしてるように写るかもしれませんが、
この方々の演奏能力は本気で高いです。

例えば
日本の芸能に鉦は付き物ですが、
これがヘタクソな為に興ざめしてしまうパターンは非常に多いです。
小森さんは何気なくチャンチキやってますが、全然ブレません。
正直このクオリティは僕には無理(笑)

もちろん
ピリッ!のタイミング、音色、ヤバイっすよ。
このセンス溢れるメロディーを滝沢さんは表現し切ってます。

そして太鼓
会長の松本さんの話では大胴、中つけ、下つけが皆違うリズムを叩いているそうです。
このテンポですよ、普通ズレが気になるでしょう。
音の強弱も付けながらこの演奏はスゴイ!
一糸乱れぬとはまさにこの事。

ね?

ほんと、日本人はリズム音痴だなんて誰が言ってんだか。。

お囃子小宅流の皆さんと今回はお囃子の話に終始してしまいましたが、山あげ祭りの魅力は野外で披露される歌舞伎、その舞台装置及び組み立ての手際のよさ、山車引きと挙げればきりが無い程沢山あります。

興味をもたれた方は是非実際に足を運んでみて下さい。
期待を裏切らない事を烏山の方に代わって保障します。



本気で一年間お祭りの為に捧げている方々の生き様を感じますよ。

最後になりましたが、小宅流の方々との記念撮影まで段取りして頂いた松本会長、
裏話を聞かせてくださった荒井さん、一緒に同行してくれた友枝さん。

本当にどうもありがとうございました。
また来年お会いしましょう!

山あげ祭り
https://www.mt-crow.net/k-karasuyama/index.php?mode=ym


先日江戸三大祭の一つ神田明神神田祭を見に行って来ました。

同日に亀有警察署での演奏があった為あまり時間は無かったのですが、
仕事の都合上行けるのはこの日限り。
午前中だけでもと見に行ったのです。
というのも、お囃子をやっていると必ず話に上がるのがこの神田祭の神田囃子
これを逃してはまた一年泣き寝入りなのです。

炎天下の中JR御茶ノ水駅を降るとすでにただならぬ雰囲気。
普段どこに居たのかと思うくらい活気に満ちた人達であふれ返っていました。

神田囃子あまり計画性もなく神田明神の鳥居の前まで行ってみると、

やってますやってます。
小気味いい祭囃子!








演奏されている方はさぞかし迷惑だったでしょうが、この機会を逃してはならぬと演奏が終わった直後すぐにお話を伺いました。

この時演奏されていたのは「投げ合い」と呼ばれるアップテンポな曲。
松本社中では四丁目(しちょうめ)とも呼ばれますが基本的には同じ曲でした。
絞め太鼓が一定のリズムを刻み、笛・鉦・大胴がアドリブで盛り上げます。
最後は少し長いキメのフレーズがあり終了。


お話によると宮入りの時はこの「投げ合い」しか演奏されないとのこと。
代表の立野さんという方が演奏しているから行ってみればと薦められ神楽殿へ。



真ん中で絞め太鼓を叩いてらっしゃるのが立野さん。

これまたさぞかしご迷惑だったでしょうが、映像と写真を掲載して良いですかと神楽殿の仕切りから名刺を差し出しご挨拶。
いやな顔ひとつなさらずご丁寧な対応ありがとうございました。
また改めてゆっくりお伺いさせて頂きます。

さてここでも演奏されているのは「投げ合い」

江戸っ子だってねぇ?
神っ田の生まれよぉ~!


って感じの人達が確立*したのが神田囃子だと勝手に思い込んでいるので、
他の曲も聴いてみたいってのが率直な感想でした。


神田囃子保存会の手ぬぐい時間がないので鳥居前で演奏されていた方々にお茶の差し入れをして帰ろうとすると、

「これ持って行きな」

な、なんと神田囃子の手ぬぐいをプレゼントして頂きました。



ひゃ~本気嬉しい!!

今の僕にはプラダのバッグよりも価値があるものに見えてなりません。

神田囃子保存会の方々、お忙しい中お付き合い頂きありがとうございました。
大事に汗をぬぐわせて頂きます!

神田明神

https://www.kandamyoujin.or.jp/index.html
神田囃子保存会
https://www.ne.jp/asahi/pcgnet/home/hayashi.htm

*江戸の祭囃子の発祥は葛西神社です。ここでは神田囃子というジャンルの確立という意味で言ってます。
土師流江戸里神楽松本源之助社中

お稽古に通いだしてちょうど半年になりますが、中々お師匠達の実際の奉納の場に立ち会う事ができず、神楽の奉納に関しては今回の湯島天神梅祭りでやっと実現しました。

自分の属している団体だとなかなか客観的に見れないものですが、
見ている内にどんどん引き込まれ気付けば素直に楽しんでいる自分が居ました。

実際の映像をどうぞ。



話をされているのが現在の四代目。
たまに話をさせていただく事があるのですが、
あぁ、これが江戸っ子っていうんだな~と。

見ていただけると分かると思うのですが、
その雰囲気から立ち振る舞い、しゃべり方に至るまでどこを取っても粋です。

そして太鼓を叩いてらっしゃるのが五代目。
僕はこの方にお稽古をつけて頂いているのですが、一言で言えば僕はこの方が好きです。
そう言わせてしまう雰囲気を持った方です。
以前教えて頂いた事で印象に残っているのが、音楽のカウントについて尋ねた際のこと。

「ロックやジャズをやる時、ワン・ツー・スリー・フォーって入るじゃないですか。
 あれには昔から違和感を感じていて。。
 かといって、いち・に・さん・はいって訳にはいかないですしねぇ。。」

よ~おっ でしょ。」

これは本当に目から鱗でした。
そもそも日本では数字で数えないんすね。
言われてみれば宴会の席の一本締めで、いち・に・さん・はいっなんてやってる人いないすもんね。。

さて、少し僕の知っている限りで動画の内容に触れると、
ここで伴奏に使われているのは江戸の祭囃子が元になっています。
(屋台、鎌倉、四丁目etc)
常に舞手に合わせて演奏しているので、言うなれば即興の舞台音楽ですね。
場面によって演奏の雰囲気ががらっと変わるのが分かると思います。

ここからは四代目の大黒様。



見ている方は楽ですが、演じている方はお面を付けていてほとんど視界が遮られていることを考えるといかに大変かが分かると思います。
鉢巻のやりとりなんかはかなりベタなギャグかと思いますが、
師匠がやるとなんでこんなに面白いんでしょうね?
こういう雰囲気は僕らのような若造には到底まねのできないものだと思います。

YouYubeは最大アップできる時間が10分なのでこの辺りで切って最後の部分。



獅子がお金食ってます。
実在する動物ではないのに、なぜかそれっぽいと思ってしまうのは僕だけでしょうか?

観客を引き込む演出。
福も笑いももたらして、楽しい気持ちで新年を迎えられる。
全てを見終えて、改めて芸の緻密さ、芸能の完成度の高さを感じました。


畏れ多くも僕はこの芸能の中から、日本的ビートとして使えそうなものを抜粋してやろうと密かに計画しているわけですが、芸が深すぎてなかなか簡単にはいきそうにありません。。

大好きな大好きな松本社中。
これからもいい関係でいたいものです。

※ここで紹介した「寿獅子は」江戸里神楽の演目ではなく伊勢から流れてきた太神楽の獅子舞を江戸の神楽が取り入れたものです。


重松流祭囃子(じゅうまつりゅうまつりばやし)

なんじゃそれは!

江戸の祭囃子といえば葛西流の流れを汲むものしかないのでは?
と、勝手に思い込んでいましたが、古谷重松という人が広めた別の流派のお囃子であると知り、
意外に近場の所沢市へ行って参りました。

お祭りの名称はそのまんまところざわまつり」です。

ジャズ・ラテンバンド、サンバカーニバル、よさこい、かっぽれ等なんでもありの出し物の中、
山車に乗って演奏されるそれは日常的な風景を一気に吹き飛ばす不思議な異空間を作り出していました。



この天狐の動き、やばいですね~。
マイケル・ジャクソンですね~。

日本のダンスシーンにもこの辺りから派生したものがあるのでしょうか?
ちょっと気になるところです。

ところざわまつり左の写真はひょっとこですが、他にも獅子等様々な演目が披露されていました。

各町ごとにお囃子の団体が組まれ、小さな子供もひょっとこを演じていたりしましたが、とても可愛いらしかったです。





さて、こうも魅力的なものを見せられてはやってみたいと思うのが人情。
ということで、色んな団体に聞いてみましたが、どの団体も各町の代表としてお祭りに参加していて、
その町に住む住人でないとお稽古に参加できないとの事。。

これは少々残念な気もしましたが、そのような体制で未だにお祭りが続いているという頼もしい事実でもありました。


本家重松流祭り囃子の方々右の写真は所沢重松流の団体の中でも、本家にあたるという旭町の本家重松流祭囃子の方々。
演奏も抜群でした!

左から二番目の朝倉涼介さんは忙しいお祭りの最中にもかかわらず、僕のずうずうしい質問に丁寧に答えて下さいました。



「祭囃子の団体を持つ町の住人であることが、お稽古を受ける条件ということは、旭町に住民票を移せば問題ないということですね?」

という僕のアホな質問にも、「それであれば問題ないと思います」と答えてくれたイケメン朝倉さん。
この場を借りてお礼申し上げます。

この重松流祭り囃子、さらっと調べてみたところ現在では福生市、東村山市、あきる野市等広範囲に伝承しているようです。
興味のある方は是非足を運んでみて下さい。

重松流祭囃子保存会
https://www.juma-ryu.jp/

お神輿担ぎ手募集中!!

中野区新井の町のいたるところに、
このような内容の張り紙がはられていました。

最初のうちは「大変だねこの町も」
などと他人ごとだったのですが、
考えてみればここに住み始めてはや三年目になるわけで近所に親しくなった人が居ないわけでもなく、
なんだか手伝ってあげたいなと思うようになりました。

体力に自信があるわけではないので力になれるかどうかと思いながら開催日時を見てみると、
ちょうど実家に戻る日。







ん~












まぁいいか。。。








とも思いましたが、なんだか逃げて帰るみたいで嫌な気持ちになり、
結局近所に住む小池君に取材をお願いすることにしました。
いつも巻き込んで悪いね、これからもよろしく(笑)

例祭の行われた北野神社は新井四丁目にあり通称新井天神と呼ばれています。
御祭神は菅原道真と保食神です。

小池君が撮ってくれたのがこの動画



これを見る限りお囃子は葛西囃子系列のものだと思われます。
曲は屋台ってやつですね。
地元の団体か、それとも他の町から呼んだのでしょうか?
お祭りに彩りを添えています。

彼らが練り歩いているのは僕も毎日通っているアイロード(近くの新井薬師が眼の病にご利益があるからアイ)ですがいつもとは違い活気がありますね。
この道は北野神社へ参拝する時の参道であった頃のなごりで、いまだに煎餅屋さんや飴屋さんが軒を連ねています。

※余談ですが先月の中野区報の中に、「この辺りも昔は田んぼが沢山あって学校からの帰りには川で魚を取って遊んでいたんですよ」と語る女性の記事がありました。
こんなところに田んぼが!?とビックリしましたが、
経済発展の名の下に失われた風景というのはあまりに大きいのですね。

中野区という大都市東京のど真ん中にありながら、こうして地元のお祭りを残していこうとする姿勢には強く勇気付けられます。
混沌としてしまった東京の町で地方出身者も神輿を担ぐことでお祭りに参加する。
これはお邪魔させて頂いている土地や氏子の方々へのお返しをする
いいチャンスなのではないでしょうか。

北野神社 神輿最後に小池君と一緒に取材に参加してくれた瞳さん、名和君、どうもありがとう!


いや~、来年はちゃんと参加しよっと。







北野神社(新井天神)
https://goshuin.kokon.asia/touto_jinja/14_kitano_arai_nakano.html

天祖神社(てんそじんじゃ)
は別名神明神社(しんめいじんじゃ)、神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)とも呼ばれ、三重の伊勢神宮を総本社として全国に約5千社あると言われています。
これらの神社は天照大神を主祭神とし、通称「お伊勢さん」と呼ばれることが多いそうです。

とまぁ、ウィキペディアからガンガンコピペしながら偉そうに書いているわけですが、
今回は東京都文京区本駒込にある天祖神社のお祭りへ行ってきました。
というのも、現在通っている松本源之助社中による奉納があると聞いたからです。

松本社中をはじめ江戸に残る里神楽の団体は祭り囃子の演奏も兼ねる事が多く、
今回撮影したのもその祭り囃子です。



いや~何度聞いても江戸の祭り囃子には胸躍ります。
お祭りと言えばこれって感じですよね?

真ん中で演奏しているのが5代目の若師匠ですが、後で伺ったところ当日は朝6時の宮出しから参加されていたそうで。。
お祭りって開始が早いんですよね、ほんとお疲れ様です。

普段のほほんとされている師匠ですが(こんな事書くと怒られっかな?一応許可は頂きましたが)、最初にお稽古の見学に伺った時のこと。
僕がブラジルでドラムを習ったりしてる内に感じた違和感の事を話すと、

「そうでしょう、猿真似でしょう。」

と、はっきり仰いました。
最近この言葉がひどく身に染みます。

音楽の良し悪しは個人が判断するものですから、聞く人によってカッコ良くも悪くもなるでしょうが、
猿真似ってのはやっぱりカッコ悪いですよね。
アイデンティティというのは最終的には個人に帰結するのでしょうが、日本という国の中での自身のアイデンティティと海外へ出た時のそれとを同一化するためには小さな頃から地域の文化に触れる機会が多いに越した事ははありません。

資金繰りの問題で三年に一度になってしまったというこの天祖神社のお祭りですが、これから生まれてくる新しい世代の為にもがんばって残していってもらいたいと願うのでした。

文京区天祖神社

https://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_jisha_tenso.html

江戸三大祭りの一つ
ということで行って来ました。

深川八幡祭り今年は三年に一度の本祭で、各町内から計55基の神輿に加え岩手県平泉町の町神輿1基が特別参加したそうですが、生憎のお天気。

深川八幡祭りは「水かけ祭」と呼ばれるように神輿に清めの水がかけられるのですが、小雨の降る中担ぎ手が風邪を引いてしまわないかと余計な心配をしてしまいました。



それにしてもとにかくすごい人で、1807年(文化4年)に見物人が集中し過ぎて永代橋が崩れて怪我人が出たというのも頷ける大盛況ぶり。
今回の例大祭に訪れたのは約31万人だそうです。
ヒ~、ホントろくな写真が撮れませんでした。
「ワッショイ、ワッショイ」

と神輿が通り過ぎる中、目を引いたのは、箕輪家流墨田囃子保存会の皆さんの演奏。
会長の安藤明さんにお話を伺ったところ、江戸の祭り囃子は諸説はあるものの発祥は葛西神社の神主さんがまとめた和歌囃子(馬鹿囃子とも)と言われ、青少年の健全な育成に指導教育されていたものだそうです。
またブラジルとの比較になりますが、青少年の更正に音楽指導を利用したという意味ではサルバドールの太鼓集団OLODUMと重なるところがあって面白いですね。



さて皆さん黙々と演奏されていますが、これめちゃくちゃ難しいんですよ!

というのも最近東京チンドン倶楽部の高田さんの紹介で日暮里の松本源之助社中にお世話になっていて、僕も江戸の祭り囃子を習っているのです。
アドリブが含まれる点ではジャズに似ているところもありますが、
小節の概念が無い点で西洋の音楽とはまったく次元が違います。

よく、「慣れだよ、慣れ」って言われますけど。。。
まぁそうなんでしょうね。
今後ドラムでもアプローチしてみたいですけど、ビートと言うよりは楽曲です。

演奏される曲は
・屋台
・昇殿
・鎌倉
・四丁目
・神田丸
・麒麟
・亀戸
・階殿
・鞨鼓等

この辺は江戸の祭り囃子に共通するようです。
箕輪家流墨田囃子保存会にはまた改めてお伺いしようと思っています。
安藤さん、どうもありがとうございました。

実際は当時の江戸で社会問題となっていた放蕩を防ぐ為に神主の名を利用したとの説明もありこの辺はロマンをそそります。
関連記事:和歌囃子・ばか囃子・江戸囃子の項参照

箕輪家流墨田囃子保存会
https://www.city.sumida.lg.jp/kyouiku/syougai_gakusyuu/gakusyu_sien/bunkazai_hogo/bunkazai_itiran/sumida_tourokubunkazai/mukei_minzokubunka/sumida_touroku901/index.html

「四百五十年の伝統、日本一の野外劇!」

JR中央線の中吊り広告に記された文言に偽りはありませんでした。

栃木県那須烏山市で毎年3日間かけて行われる国の重要無形民俗文化財山あげ祭
期待を胸に僕は一人電車に乗ります。
新宿から宇都宮、東北本線で宝積寺駅に着く頃には景色もすっかり変わり、未来に残したい古き良き日本の原風景のようなものへ姿を変えていました。

鉄道マニアが喜びそうな2両編成のJR烏山線でゆっくりと到着した烏山駅は、これから本当にお祭りが行われるのかと疑ってしまうほど閑散としたイメージ。
道すがら立ち寄ったうどん屋さんもお客は僕一人でした。

しかしそんな不安をよそに、2時から公演が行われる山あげ会館前はすでにあふれんばかりの人だかり。
照りつける太陽と観客の熱気で会場は異様な雰囲気に包まれ、怪しげなパワーに充ち充ちていました。

山あげ祭 吉野山狐忠信そしていよいよ始まった野外劇場における歌舞伎の舞台。左の写真は「吉野山狐忠信」という演目を演じているところ。
源義経の家臣、佐藤忠信が静御前の鼓の音で現れるという場面です。

源平時代の伝説を目の当たりにするような素晴らしい公演に目を奪われていたのですが、実は山あげ祭の本当の見所は
公演が終わった後だったのです!

威勢のいい若衆がわーっと一斉に集まったかと思うと、さっきまで使われていた舞台を手際よく全て解体し山車の後ろに積み込みそのまま山車を引いて移動、そしてまた次の町で改めて組み立てるのです。


その回数なんと1日5~6回 !!
どれだけ大変か想像してみて下さい。
僕は地元の人達のこのお祭りにかける思いに強く打たれました。

そんな彼らを山車の中から盛り立てるのが、お囃子小宅流の皆さん。



ご覧の通り舞台解体・移動・組み立ての際は「新囃子」と呼ばれるアップテンポな曲で終始作業の場を活気づけてらっしゃったのですか、
なんとまぁこのお囃子のかっこいいこと!
トータルで1時間以上も続けて演奏されていたのですが、全然飽きない 。
上がる上がる!!(気持ちがね)

演奏のスタイルは笛(真竹)、大胴、中つけ、下つけ、鉦のたった5人。
この人数でこれだけのグルーヴが出せるとは本当に驚きでした。
僕は興奮を抑えられず演奏者の方にお話を聞いてみたのですが、
親切な方で保存会の会長さんを紹介して頂きました。

松本明さん
囃子方保存会4代目会長

山あげ祭 松本さん知性と情熱と男気の非常に中庸の取れた深みのある方でした。

僕の質問に対し気持ちいい程明快に帰返ってくる回答。
それのみならず、それにまつわる様々な裏話、歴史、地元への想い等々、、。

僕はこういう人を真の国際人だと思います。

洋楽・洋画・西洋文化に詳しくなったり、英語を覚えたり、海外の知識を得ることは大切なことですが、自分の国の事・自分の土地の事を知らないで海外へ出向いても本当の意味での交流はできません。

僕がそうだった訳ですから。。

あなたのお名前はなんですか?
と聞かれるようなものです。
え~っとなんだっけ?
なんて言ってる人と会話が成り立ちますか?

海外に目を向ける人間であればあるほど自分の国に目を向けるべきです。
僕はそう考えます。

さて、松本さんによるとお祭りを続けていくには想像を絶するようなお金がかかるため、
毎年資金繰りには苦労されるそうです。
まずお祭りごとに当番の町から(今回は日野町)木頭とよばれるリーダーが決められます。
木頭が言うことは絶対ですが、それだけに責任も重く金銭的にもかなりの額を負担するようです。
ただ、町の男達にとって木頭に選ばれるということは決して他では代えられない大きな名誉であり誇りであるため、皆責任を持って引き受けるそうです。

この話を聞いてこの町の方々のお祭りに対するただならぬ思いを感じつつ、
こんなお祭りを地元に持っている事を羨ましくも思いました。

山あげ祭 世話人左の写真でカンカン帽を被り粋な格好で先頭を歩くのは世話人と呼ばれる方々です。

彼らは全て木頭を経験した人達で、山車がよその町に入る際、失礼のないよう挨拶をする役目なのだそうです。

そういう予備知識を入れてからみると全然見え方が変わりますよね。



山あげ祭 金棒引きその後ろを歩くのが金棒引きと呼ばれる女の子たち。
道を清める意味があり、小学校にあがる前の子供が選ばれるそうですが、見た感じもう少し大人っぽいですね。
最近の子供は発育がいいのでしょうか。。
ね?

今回は本祭なので女の子5人ですが、つけ祭では男の子3人で行うそうです。

このように、一見しては良く分からないお祭りもそれぞれにちゃんと意味があるんですね。
ブラジルのお祭り(カーニバル)もそうでしたが、形式は違ってもちゃんと意味がある。
僕の目的はあくまでビートの収集ですが、こういった背景を抜きにしてただビートを集めてもそれは片手落ちになってしまうでしょう。

今回いろいろなお話を聞かせて下さった松本さんにこの場を借りて改めて感謝いたします。
他にも見て回りたいところがあるので2~3年後になるかもしれないが、必ず戻って来るのでご指導いただけますかと質問したところ、

「おい、どうする中野で山あげ祭広がっちゃったら?」

と、顔をほころばせながら周りの方に呼びかけていた松本さん。
山あげ祭は間違いなく世界に通用しますよ。

人手の減っている山あげ祭。
僭越ながら今後自身の活動で少しでも多くの人に知っていただければと、緩んだ帯を引き締めるのでした。

山あげ祭
https://www.mt-crow.net/k-karasuyama/index.php?mode=ym

関連記事
https://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/055/20.htm

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