2008年7月アーカイブ

子曰く、学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、
思いて学ばざれば、則ち殆(あやう)し


足利学校山あげ祭を見た次の日、栃木県足利市に住む大学時代の後輩、菅原君に連れられ日本最古の学校である足利学校へ入学(?)しました。

上の文章は
儒教の祖である孔子の言葉を集めた書物論語の一節で、足利学校の特別体験で素読したものです。




儒教が日本に輸入されたのは約1700年前であると言われていますが、
いまだに日本人の道徳観念の大きな部分を担っているように思います。
上の言葉もそうですが学校で購入した簡易版「論語沙」に目を通すと、どれもそうだよね~と頷ける内容のものばかりでした。まぁ、中々実行できないんですけどね。。

いやぁ勉強になったね~とか言いながら足利学校を卒業し、お土産屋さんを散策しているとどこからともなく太鼓の音色が聞こえてきました。
最初はCDか何か流してるんだろうと思いましたが、近づいてみると本物!!

足利が発祥という元祖八木節でした。

足利八木節 朝倉八木節保存会電池が切れて動画が撮れなかったことが本当に悔やまれるほど、息のあった完璧な演奏、踊りでした。

地元足利出身の菅原君は、僕が
「ちょっとこれヤバイじゃん!、
めちゃくちゃかっこいいじゃん」
と言っても、あぁそうすか?
とそっけない返事でしたが、
これヤバイです。


これまでほぼ日本の伝統音楽を意識する機会がなかった僕は、恥ずかしながらこの八木節の存在を知りませんでした。
実家の母にもばかにされましたが、ホントいいですねこれ!

大正生まれの比較的若い芸能というだけあって、分かり易いというか素直に楽しめます。
ただ疑問に思ったのはお客さんがほぼ居なかった事。。
地元にこんな素晴らしい芸能があるのにもったいない!
演奏されてる方はそんなのへっちゃら、という位思いっきり楽しんでらっしゃいましたけど。

こりゃたまらんと思い、横で休んでいた方に話を伺ったところ、
「お兄ちゃんやってみたら?、次一緒にやんなよ!」
まぁ、なんと寛大な。。

んで、やりました(笑)

八木節 俺いや~、楽しい~!
幸せ~!

嬉しそうでしょ?

僕が叩かせて頂いたのは鼓ですが、なんとスティックで叩くんですね~。
昔は松脂を使っていたそうですが、現在はガムテープでぐるぐる巻きです。

文明の利器ですね。


さて、叩いたリズムですがこれが面白い!

足利八木節ドラム譜これはもうビートそのものです。
最初の入りの1小節だけ決まりがありますが、後はずっと一緒。
止まる時は笛の合図で止まります。

ドラムで叩くとするとこんな感じになるんではないでしょうか?(汚くですみません)

アフリカのフェラ・クティが始めたアフロビートに近いものがありますね。
う~ん、いい感じ。

話が少しズレますが、譜面が出てきたところで最初にひとつだけ断っておきたい事があります。
これはあくまでドラムで叩くとすればこうなんじゃない?
という提案であって定義ではありません。
はっきり言ってこの譜面はもうこの時点で八木節のそれではありません。
八木節にヒントを得たドラムのビートの譜面です。
伝統的な音楽に対しては常に敬意を抱いていますし、長年磨かれ受け継がれてきた重みを感じています。伝統を汚すような意図はまったくない事だけはご理解いただきたいのです。
 
僕が譜面を起こす理由は例えばこういうことです。

今まで締太鼓を叩いていた日本人が西洋の新しい楽器を初めて手にした時のことを考えてみて下さい。
すぐにアメリカ人の真似をしてジャズを演奏するか、今まで叩いてきたリズムを試してみるか。
どうです?後者の方が独自の新しいものに発展する可能性があると思いませんか?
そういうチャンスが一度はあったわけです。
 
戦後日本は前者の道を選びますが、僕はロマンチストですから後者の道を歩んだ日本の音楽が聴いてみたい。どういう発展をしていくのか考えただけでもワクワクします。
そのために参考になるような譜面の紹介という意図で載せました。

もちろん僕の主観で起こす譜面ですから偏りは出てくるでしょう。
ですが僕も日本人です。
本場の現地人ですから、外人が起こす譜面よりは参考になるのではないでしょうか(笑)
 
最後になりましたが、気さくに仲間に入れていただいた朝倉八木節保存会の皆さん。
本当にどうもありがとうございました。


追伸

実際にドラムでさわりの部分を実演してみました。
やっぱりドラムだけだと寂しいですが、ギターのカッティングなんか入ると
ファンキーになりそうな感じです。
せっかくなので唄ってしまいましたが、素人なので大目に見てください(笑)




「四百五十年の伝統、日本一の野外劇!」

JR中央線の中吊り広告に記された文言に偽りはありませんでした。

栃木県那須烏山市で毎年3日間かけて行われる国の重要無形民俗文化財山あげ祭
期待を胸に僕は一人電車に乗ります。
新宿から宇都宮、東北本線で宝積寺駅に着く頃には景色もすっかり変わり、未来に残したい古き良き日本の原風景のようなものへ姿を変えていました。

鉄道マニアが喜びそうな2両編成のJR烏山線でゆっくりと到着した烏山駅は、これから本当にお祭りが行われるのかと疑ってしまうほど閑散としたイメージ。
道すがら立ち寄ったうどん屋さんもお客は僕一人でした。

しかしそんな不安をよそに、2時から公演が行われる山あげ会館前はすでにあふれんばかりの人だかり。
照りつける太陽と観客の熱気で会場は異様な雰囲気に包まれ、怪しげなパワーに充ち充ちていました。

山あげ祭 吉野山狐忠信そしていよいよ始まった野外劇場における歌舞伎の舞台。左の写真は「吉野山狐忠信」という演目を演じているところ。
源義経の家臣、佐藤忠信が静御前の鼓の音で現れるという場面です。

源平時代の伝説を目の当たりにするような素晴らしい公演に目を奪われていたのですが、実は山あげ祭の本当の見所は
公演が終わった後だったのです!

威勢のいい若衆がわーっと一斉に集まったかと思うと、さっきまで使われていた舞台を手際よく全て解体し山車の後ろに積み込みそのまま山車を引いて移動、そしてまた次の町で改めて組み立てるのです。


その回数なんと1日5~6回 !!
どれだけ大変か想像してみて下さい。
僕は地元の人達のこのお祭りにかける思いに強く打たれました。

そんな彼らを山車の中から盛り立てるのが、お囃子小宅流の皆さん。



ご覧の通り舞台解体・移動・組み立ての際は「新囃子」と呼ばれるアップテンポな曲で終始作業の場を活気づけてらっしゃったのですか、
なんとまぁこのお囃子のかっこいいこと!
トータルで1時間以上も続けて演奏されていたのですが、全然飽きない 。
上がる上がる!!(気持ちがね)

演奏のスタイルは笛(真竹)、大胴、中つけ、下つけ、鉦のたった5人。
この人数でこれだけのグルーヴが出せるとは本当に驚きでした。
僕は興奮を抑えられず演奏者の方にお話を聞いてみたのですが、
親切な方で保存会の会長さんを紹介して頂きました。

松本明さん
囃子方保存会4代目会長

山あげ祭 松本さん知性と情熱と男気の非常に中庸の取れた深みのある方でした。

僕の質問に対し気持ちいい程明快に帰返ってくる回答。
それのみならず、それにまつわる様々な裏話、歴史、地元への想い等々、、。

僕はこういう人を真の国際人だと思います。

洋楽・洋画・西洋文化に詳しくなったり、英語を覚えたり、海外の知識を得ることは大切なことですが、自分の国の事・自分の土地の事を知らないで海外へ出向いても本当の意味での交流はできません。

僕がそうだった訳ですから。。

あなたのお名前はなんですか?
と聞かれるようなものです。
え~っとなんだっけ?
なんて言ってる人と会話が成り立ちますか?

海外に目を向ける人間であればあるほど自分の国に目を向けるべきです。
僕はそう考えます。

さて、松本さんによるとお祭りを続けていくには想像を絶するようなお金がかかるため、
毎年資金繰りには苦労されるそうです。
まずお祭りごとに当番の町から(今回は日野町)木頭とよばれるリーダーが決められます。
木頭が言うことは絶対ですが、それだけに責任も重く金銭的にもかなりの額を負担するようです。
ただ、町の男達にとって木頭に選ばれるということは決して他では代えられない大きな名誉であり誇りであるため、皆責任を持って引き受けるそうです。

この話を聞いてこの町の方々のお祭りに対するただならぬ思いを感じつつ、
こんなお祭りを地元に持っている事を羨ましくも思いました。

山あげ祭 世話人左の写真でカンカン帽を被り粋な格好で先頭を歩くのは世話人と呼ばれる方々です。

彼らは全て木頭を経験した人達で、山車がよその町に入る際、失礼のないよう挨拶をする役目なのだそうです。

そういう予備知識を入れてからみると全然見え方が変わりますよね。



山あげ祭 金棒引きその後ろを歩くのが金棒引きと呼ばれる女の子たち。
道を清める意味があり、小学校にあがる前の子供が選ばれるそうですが、見た感じもう少し大人っぽいですね。
最近の子供は発育がいいのでしょうか。。
ね?

今回は本祭なので女の子5人ですが、つけ祭では男の子3人で行うそうです。

このように、一見しては良く分からないお祭りもそれぞれにちゃんと意味があるんですね。
ブラジルのお祭り(カーニバル)もそうでしたが、形式は違ってもちゃんと意味がある。
僕の目的はあくまでビートの収集ですが、こういった背景を抜きにしてただビートを集めてもそれは片手落ちになってしまうでしょう。

今回いろいろなお話を聞かせて下さった松本さんにこの場を借りて改めて感謝いたします。
他にも見て回りたいところがあるので2~3年後になるかもしれないが、必ず戻って来るのでご指導いただけますかと質問したところ、

「おい、どうする中野で山あげ祭広がっちゃったら?」

と、顔をほころばせながら周りの方に呼びかけていた松本さん。
山あげ祭は間違いなく世界に通用しますよ。

人手の減っている山あげ祭。
僭越ながら今後自身の活動で少しでも多くの人に知っていただければと、緩んだ帯を引き締めるのでした。

山あげ祭
https://www.mt-crow.net/k-karasuyama/index.php?mode=ym

関連記事
https://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/kikaku/055/20.htm
先日21日(海の日)は関東一の祇園祭という熊谷うちわ祭へ行ってきました。
ビート収集を名目に祭り道楽かと言われてしまいそうですが、楽しい上に収穫もあるのでこれは止められませんな。

さて、熊谷の夏祭りの記録が文章に出たのは江戸時代の寛永3年(1750)で、もとは格寺社ごとに別々に行われていたものが役場役人から許可が降りて以来各町いっせいに行われるようになったそうです。

熊谷うちわ祭当時厄病除けに炊いていた赤飯をお祭りの期間中買い物客に振舞ったところ、
それが評判となり、その後手間のかかる赤飯の代わりにうちわが振舞われるようになったことがこのお祭りの由来なんだとか。

当日は沢山の立派な山車が目を引きましたが、山車に乗って演奏している方々に注目してみて下さい。
何でしょうあの大きな当たり鉦は!!
チンドン太鼓に付いているものの2倍近くはありましょうか?

演奏に使われている楽器は笛に特大当たり鉦3つ、締太鼓3つに大胴が1つというスタイルが僕が見た限り定型のようでした。


実際の演奏はというと、迫力満点の山車とは裏腹にすごーく地味な印象。。
正直演奏に参加されている方のモチベーションに個々の温度差を感じました。
あぁ今この子wiiの事考えてるな~
みたいな。。
そういう僕も幼少の頃は早く帰りたいな~とか思いながらドラえもん御輿を担いでいた口なので、
気持ちはよくわかります。。

テンポが遅く、これといった変化がないので見ている側も楽しむというよりは
へ~大きな山車だね~
と感心するより他ないような感じでした。

それなりに見ごたえはあったので満足し、近くの喫茶店で休憩した後まだやってるかなぁと会場に戻った時でした。

めぬま!! ねりこみ~! まだまだ~!
それぇ~!
ドンドンドンドドツドツドドン 
それぇ~!
ドンドンドンドドツドツドドン それぇ~!

ひゃー、うぉぉーーー!!!
かっちょいいぃぃ
!!!
何これ~!?


老若男女入り乱れたお囃子集団が突如登場したのです。
正直これは僕にとってジェイムス・ブラウン、イラケレ以来の衝撃でした!
こんなにかっこいいものが日本にもあったのかと。

あとで問い合わせてみたところ練り込み囃子といわれるもので、今回は参加されていませんでしたが練り込み踊り、鼓前童衆と合わせて練りこみと呼ばれるそうです。
今回のメインアクトではなく来月2日に同市内妻沼で行われるめぬま祭りからの出張だったようです。
僕が聴いた演奏は2つのリズムから成り、ちょっとおちゃらけたようなリズムが続いていたかと思うと、笛の合図で突如アップテンポに急展開。
めくるめく世界に観客をいざなうのです。

うちわ祭 ねり込み囃子

この団体にも近く接近する予定です。
すっかり度肝抜かされましたからね。

うちわ祭
https://360.jp/utiwa/

めぬま祭

https://www.atsuizo.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=467
本場という言葉が好きです。

混沌としてしてしまった現代、なかなか純粋な意味での本場と言える所はありません。
本物というのもそうですね。
しかし、これらの言葉にロマンを感じてしまうのは僕一人だけではないでしょう。

「中野チャンプルーフェスタ」「高円寺阿波踊り大会」「浅草サンバカーニバル」等、
なんでここで?
系のイベントにはあまり惹かれないというのが、歯に衣を着せない実際のところです。、高円寺で見た阿波踊りでグッときてしまったのも事実で、一概にこれらのイベントを批判するのは良くないのでしょうね。

現在の住まいが中野ということで行ってきたチャンプルーフェスタですが、
早稲田通り沿いの中野ブロードウェイ出口付近で演奏されていたあびこめぐみさん。
思わず足を止めてしまう程イイ顔で歌ってらっしゃいました。

中野チャンプルーフェスタ あびこめぐみキュートな容姿からは想像もできない様な節回しで、僕も含め皆引き込まれてしまいました。
この方が沖縄出身かどうかも、職がない為に東京まで泣く泣く上京してきたかどうかも知りませんが、
そう思いたくなるほど素敵な歌でした。

あびこめぐみさんのブログ
https://blog.livedoor.jp/abichan0619/


さて、せっかく来たのですから太鼓ですよね。
当日は3ヶ所でエイサー隊のパレードが行われたのですが、
僕は家から一番近い薬師あいロードの道ジュネーを見ました。

男の人は逞しく、女性は華やかに太鼓を叩き舞っていましたが、
ビートとしてはゆったりと単調なもの。
先日みたままつりで見たときの印象とさほどは変わりませんでした。

中野チャンプルーフェスタ エイサー隊ただイキイキとしているものは見ていて気持ちのいいもので、収穫云々とは別の安心感に似た感覚(うまく説明できませんが)を覚えました。
こんなにも多くの人が沖縄の芸能を愛し、場所こそ違え楽しんでいるのかという、
なんだかまだまだ捨てたもんじゃないぞという気持ち。

なかなかいいものでした。










今回はチンドン!あづまやさんです。

あづまや 足立さんチンドン!あづまやの足立さんとの縁はちょっと奇縁でした。
以前に地元(中野)のチンドン屋さんということで興味を持ちメールを送っていたのですが、暫く返信がなかったものですから縁がなかったのかなとあきらめていました。
そんな矢先、以前お世話になった八百屋さんにお土産を持っていったところ、
なんとそこで足立さんが働いていたのです!
最初はお互い勘付きもしませんでしたが、少し話している内に


「あれ、この間メールくれた人?」

それからはものすごく熱心にチンドンについて熱い思いを語ってくれました。
中野公園での練習を拝見させて頂いたり、僕の考えを尊重して基本的なビートのようなものを教えて頂いたり。。

実際にチンドン太鼓も叩かせていただきました。ラッキ~!

ちんどん太鼓 俺ご覧のとおり全然様にはなりませんでしたが、初めてドラムに触れた時のことを考えると案外すんなり体になじみました。
こんなことを言うと、
「チンドンなめんな、小僧が!」

と言われてしまいそうですが、あ、これ俺いけるかも、、と思わせる何か暖かい親近感がありました。

ただ僕は音楽をやる上で(会話でもそうですが)、伝えたい事もないのにただ演奏するという事が嫌いです。
チンドンを本気でやっている方々に失礼なので、チンドン太鼓の演奏者になるつもりはないのです。


さてさて、足立さんが言うには簡単に分けてチンドンのリズムはシャッフル(3連)系のハネモノ
ハネない平らというリズムに大別されるそうです。
ただし平らと言ってもそれは日本独特のものなので、僕の印象としてはハネている感じを受けました。
きっとヨスケ(当たり鉦)の音色がそのように聞こえさせているのでしょうね。

また、チンドンには打ち込みと呼ばれる演奏前の合図のようなものがあることも教えていただきました。これはチンドン太鼓を持つ親方が「さあ、これから演奏しますよ。何か曲を弾いて下さい。」と楽士さんに催促するもので、景気付けの意味もあるそうです。
何パターンか見せて頂きましたが、特に決まりはなく長いものも短いものもありました。
ただ、、、

最後はいつもドドン!って終わるんですね(笑)
これが何ともチンドンっぽくって特徴のひとつかと思います。
これから何か始まるのかな~と思わせるものがあります。

この点以前東京チンドン倶楽部の高田さんに訊ねたことがありましたが、
「それは人に依るよ」とのことでした。
確かに演奏者でまったく奏法が変わるのがチンドン太鼓です。
決め付けるのは良くないですが、決め付けるのが僕の作業なので僭越ながら決め付けます<(`^´)>

ドラムで言えば曲の終わりで良く使われるタカトン(そろそろ譜面をUPしなきゃとおもうのですが、やっぱり画像にするしかないのかな?テキストで入力できればいいのに。。)が、ちょうどチンドンのドドン!に当たると思います。
言ってみれば定番ってやつですね。

ただこれはあながち間違っていないと思います。
現代のロック・ポップスでこの終わり方をすると相当浮くと思いますが、
浮くということは裏を返せばそれだけ特徴的ということなのでチンドンっぽさを出したい時には重宝するのではないでしょうか。

ただビートに関しては以前も書いたようにこれというフレーズがありません。
足立さんに小鶴家さん(チンドン会の名門)から教わったという野毛山(ノーエ節)という曲を披露して戴きましたが、この曲などは最初から最後まで叩き方が決まっているそうです。
つまりチンドン太鼓のフレーズが曲のメロディーと一体なのです。

この事はより音楽的といえば音楽的ですが、8ビートのようにどんな曲にも汎用的に使えるビートを抽出するという観点からみると、非常にやっかいですね。。
どうしてそんな事をするのか聞かれそうですが、僕はそんな事がしたいのです。
ある程度の矛盾は抱えつつも汎用的なフレーズを炙り出して皆に試してもらいたい。
そこから日本音楽に興味を持って本格的に追求するもよし、それを発展させて新しい音楽を作るもよし。
要はその根っこに日本伝統の音楽があるという土壌を作りたいのです。
やっぱり外国の真似だとは言われたくないでしょう?

少々話がズレましたね。。

足立さんと高円寺のバーでご一緒させて頂いた時、彼は師匠「小鶴家」さんの演奏がいつも頭の中にあるとおっしゃっていました。
また、喜楽家」扇太朗さん小夜子さん、「江戸家」のはるえさん、「みどり家」さん、「菊乃家」さん、「長谷川宣伝社」さん、「滝乃家」一二三さん、二代目瀧廼五朗八さん(故人)等、往年の演奏家達の演奏は自分のスタイルに強く影響していて、彼らの演奏を生で見れたことは大きな財産だとも。。

現在未だ現役で演奏されている方は少ないようですが、彼らの演奏を見たのと見ていないのではチンドンに対する認識に大きな差が出るとの事で、是非とも見れるチャンスを得たいものです。

足立さんにはとにかく熱く熱くチンドン講義をして頂きました。
彼の情熱に敬意を表すと共にこれからの発展を心よりお祈りしたいと思います。

チンドン!あづまや
https://chindonya.net/
 
※現在は削除しましたが、一部内容に不正確なものがあったことここでお詫び申し上げます。
先日靖国神社のみたままつりにいって来ました。

昭和22年に始まったこのお祭りは毎年30万人の人が訪れるそうです。
この日も沢山の人でごった返していました。
大きな鳥居が二つ、参道には献灯が灯され図らずも厳かな気持ちになりました。

とは言っても僕のお目当てはやっぱり太鼓
奉納される日本の様々な芸能の中でも太鼓を使ったものは割と多いんですね。
今回最初に見たのは沖縄の太鼓

みたままつり 沖縄太鼓なかなか迫力はありましたが、アンサンブルというよりは全部ユニゾンで割と単調な印象。
本場の沖縄で見てみたいなと思いました。









この日一番印象に残ったのが、奉納が行われた能楽堂とは別の場所で行われた平成五色太鼓による演奏。
これは本当にすごかった!!
できれば写真をUPしたかったのですが、何しろすごい人だかりで写真を撮っても見物客しか写っていない有様。演奏は若い人中心(中学生らしき演奏者もいました)で、皆さんとても楽しそうにイイ顔で演奏されていました。

佐渡の太鼓がそうであるよに、こういった太鼓演奏のみの団体は歴史が浅いと聞きますが、
それだけに見物客を意識したパフォーマンスがピカイチでした。
ちょうどブラジルのサルバドールで見た太鼓集団オロドゥン、フィーリョス・ジ・ガンジーあたりを思い出し、
日本もすごい団体がいるもんだと改めて感心しました。

今後彼らには是非接近したいと考えておりますが、web上では彼らの情報が少なく、もしご存知の方がいらっしゃいましたらご一報戴ければ幸いです。
お昼ごはんくらいはご馳走しますよ(笑)
先週に引き続き今週もチンドン屋さんを取材させて頂きました。
今回は芸歴23年以上という親方・高田さん率いる東京チンドン倶楽部です。

東京チンドン倶楽部 巣鴨地蔵通り

芸歴の長さにびっくりしましたが、高田さん達の先輩には芸歴70年という方もいらっしゃるようでまだまだ若手ですとのこと。
頭が下がります。
今回のメンバーはゴロスがみどりさん、楽士が皆木さん。
皆さんとても明るい方でした。
先週のチンドン芸能社のメンバーも全員ご存知のようで、チンドン業界のつながりの強さを感じました。

さて、今回は巣鴨地蔵通商店街で行われた「お地蔵サマー」というイベントでの演奏ですがぶっつけ本番とは思えない程息のあった演奏。
「なんとなく分かるよね~、癖とかでね~」
とのこと、経験のなせる業でしょうか。

高田さんがチンドン太鼓は楽士の吹くメロディーに合いの手を打つようなもの
とおっしゃっていましたが、その言葉通り曲によってどんどん変わるビート。
太鼓だけ聴くと無節操に聞こえる演奏も、メロディーと一緒に聴くとなるほどなと頷かされました。

太鼓のオカズ的なフレーズに関して高田さんは松本源之助という方についてお囃子を習われていたことがあるそうです。
チンドンのフレーズのルーツを探つならお囃子も外せないようです。

東京チンドン倶楽部
https://www5.ocn.ne.jp/~yosuke/

チンドン太鼓:高田さん
ゴロス:みどりさん
楽士:皆木さん
※メンバーは現場により変化
先月29日、僕の知り合いの前田さんが参加しているチンドン芸能社の演奏を見学させて頂きました。

チンドン芸能社 BBステーション

初めてのチンドン屋さんとの接触ということで少し緊張しましたが、
親方のさん休さん(永田さん)はすごく低姿勢な方で非常に丁寧にチンドンの事を教えて下さいました。

彼によればチンドンは親方がチンドン太鼓、サポートの方がゴロス(最近はドラムとも言うらしい)、楽士さんがメロディー楽器を担当し、基本的には3人で演奏するとの事。
ただ僕が一番興味をそそられたのはやっぱりチンドン太鼓でした。
当たり鉦という灰皿のようなものを鹿の角が先についた撞木で鳴らしながら、締め太鼓と大胴で調子を合わせる。

せっかく見学に行ったのだからビートと言えるようなものを炙り出してやろうと聴いていましたが、あ、面白い!と思ったらすぐ違うビートに。
これには参りましたが親方いわく、基本的なグルーヴは右手の当たり鉦で作っていてどちらかというとそちらの方が重要との事。
確かにあの当たり鉦の音があるだけでチンドンっぽいし、あれがないと音楽的に大きな部分が欠けてしまうことは間違いないように感じます。

チンドン芸能社 お昼

とはいっても何も得られないのは悔しいので、
僕なりにこれは特徴かなっと思ったフレーズを書きとめておきました。
僕の最終的な目標は日本的ビートの普及それに乗っかった日本独自の新しいジャンルの創出なのでまとまり次第どんどんアップしていきたいと考えています。
チンドン芸能社の皆さんご協力どうもありがとうございました。

チンドン芸能社
https://chindon.kir.jp/

チンドン太鼓:さん休さん
ゴロス:長田さん
楽士:前田さん
※メンバーは現場により変化
まず「日本的」としたことについて。

音楽をはじめ日本の文化は外来の文化からの影響が大きく「日本の」としてしまうと、語弊が生じてしまう恐れがあるため避けました。

ビートとは

*ウィキペディア参照
打点であり、基本の単位として聞こえる基準のことである。したがって、ビートとは、曲から基本的な時間の単位を取り出したものである。つまり、音楽に合わせて足を踏み鳴らすとすると、それぞれの足踏みがビートということになる。文脈によって、ビートは次のいずれかの意味で使われる。

ということですが、一定のリズムがある程度続いていればそれをビートとします。
ですので雅楽等で叩かれる一定でないリズムは一旦対象から外しておく考えです。

はじめまして、菅田 光司郎 と申します。

ドラムを叩いております。

今回思い立ってこのブログを始める事にしました。
きっかけは約1年間のブラジル旅行です。
先月帰って来たばかりなのですが、今始めないと一生取り掛かれないのではないかと思い
早速手をつけたのです。

僕はブラジルに新しい音楽の生まれる風景の様なものを求めて行きました。
なぜ英語圏でもない南米の1国が新しいポピュラー音楽を生み出し、世界の音楽大国となり得たのか。
その答えを断言することはできませんが、約1年を通して僕が一番感じたのは彼らの圧倒的なパワーでした。
そしてその根源に揺るぎない愛国心があったことは否定できない事実でした。

彼らの歌は自分達の住む土地を讃え、文化を誇り、自然の恵みへの感謝を表しています。
現在の日本を振り返ってみると少し寂しい思いがしませんか?
僕自身はそのことを強く感じました。

僕にも何かできることはないかと考えていた矢先、サンパウロでひょんな事からネネというドラムの先生を紹介されます。
この先生が僕に見せてくれた本がこのブログの出発点になりました。

ブラジル各地に伝わるその土地土地の独特なビート。
彼はそれをドラムの譜面に起こしていました。
そのビートごとに名前があり、成り立ちの簡単な説明も付いていました。

これを使って自分で楽しむ、日本に帰って紹介する。
それもいいだろうと考えましたが、僕にはそのコンセプトの方が魅力的に映りました。
日本だって土地土地によって風俗は異なるし、なんせ1400年以上の歴史を誇る国ですから。
僕はワクワクしてこれからの研究対象の本場である日本へ留学するような気持ちで戻ってきました。

そして今ブログを書いています。
今日から足で稼いだ日本のビートの数々をこの場で紹介していこうと考えています。
ひとつ長いお付き合いよろしくお願い致します。

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